kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

奈良県の観光やお役立ち情報を発信していきます(*'▽')

桜だけじゃない⁉大和郡山城跡公園の盆梅展と天守台からの眺め

※今年は暖冬で、梅の見頃が早まっているようなので、ブログ始めたばかりの頃の記事を、大幅にリライトしました(*''ω''*)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

皆さま、「大和郡山城」は、ご存知でしょうか?

戦国大名・筒井順慶によって築城され、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長も城主になったことでも有名な、奈良県にあるお城です。

今では、当時の建築物はなく、石垣を残すのみ…ですが、城内の桜も有名で「大和郡山お城まつり」には多くの人が訪れます。

 

ですが、私が行ったのは、2019年2月15日。

桜ではなく、梅が咲き初める頃でした。

折しも「盆梅展」なるものも開催されていました。

f:id:xnorico:20190709224504j:plain

今回は、整備されつつある「大和郡山城跡公園」の見どころと、「盆梅展」についてレポしてみたいと思います('ω')ノ

 

 

大和郡山城とはどんなお城?

戦国時代真っただ中の1578年頃、織田信長の後ろ盾で大和国を平定した筒井順慶が構築しました。

豊臣秀吉の天下統一後、筒井氏が伊賀国に転封になったのち、1585年に豊臣秀吉の異父弟である豊臣秀長(秀吉の信頼が厚く、豊臣政権の大黒柱として活躍した)が大和・紀伊・和泉三ヶ国を領する百万石の太守となって、郡山城に入りました。

この時「百万石の太守」にふさわしく…とばかりに本格的に築城され、城郭の拡充が進められました。

その後、関ケ原の戦いで西軍が敗れたため、郡山城は取り壊しされ、建物は伏見城に移されます。

江戸時代に入り、徳川幕府の許可を得て、再び伏見城から建物を移築、城としての体裁が整いましたが、たびたび城主・藩主の交替がありましたが、

1724年に柳沢吉里が15万石で甲府から転封、以後、柳沢氏郡山藩は明治維新まで続きました。

明治維新の際、1873年に破却され、永らく荒廃していましたが、1960年以降、市民からの寄付もあり、徐々に再建され「大和郡山城跡公園」として整備、今では大和郡山市のシンボルとなっています。

また、石垣や堀の多くは今も往時の姿を留めています。

 

「日本さくら名所100選」に桜の名所として選定。

また、2017年には「続日本100名城」にも選ばれました。

 

☆こぼれ話《筒井順慶》

筒井順慶と言えば、本能寺の変の後、明智光秀の天下をかけた戦いである、山崎の戦いで「洞ヶ峠を決め込む」や「洞ヶ峠の日和見」など、光秀につくか秀吉につくか、はっきりせず傍観し続けた日和見主義という悪評で知られています…。

が、事実はどうもそうではなく、この時、順慶は出陣していなかったようです。

今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀ですから、終盤で順慶がどのように描かれるのか…が、今から気になります。

奈良県民としては、汚名返上してほしいところです(;^ω^)

公共機関でのアクセスは良く、近鉄橿原線近鉄郡山駅から徒歩8分です。

近鉄電車に乗っていると、沿線から郡山城跡が見えます。

 

郡山城跡公園の無料駐車場は、10台ほどしか停められません。

満車の場合は、近鉄の線路を挟んで向かい側の「やまと郡山城ホール」の駐車場(179台駐車可・2時間まで無料)を利用することをおすすめします。大和郡山城跡までは徒歩10分ほどです。

ただし、「大和郡山お城まつり」の時期はかなり混雑しますので、公共機関を使う方が無難だと思われます。

 

「大和郡山城跡公園」内へは、入園無料です。

大和郡山城についてはコチラ

では、大和郡山城跡公園を、見どころ順にご紹介いたしますね('ω')ノ

城内の様子は、上のグーグルアースを拡大していただくと、よくわかります(^ ^)

 

再建された見事な「追手東隅櫓」「追手向櫓」「追手門」

まずは、郡山城跡の建物の中で、一番目を惹く「追手東隅櫓」です。 

f:id:xnorico:20190710141955j:plain

追手東隅櫓 1984年再建

当時の面影が偲ばれる、雄大な櫓です。

 

そして、市民からの寄付で再建されたという「追手門」

f:id:xnorico:20190710141617j:plain

梅が見頃になると、門の両脇に置かれている梅が花開き、素晴らしい写真が撮れます!

f:id:xnorico:20190710141749j:plain

f:id:xnorico:20190710141831j:plain

追手門(梅林門) 1980年再建

この「追手門」を、最初に築いたのは、豊臣秀長だと言われています。

また、この門が「梅林門」と呼ばれ出したのは、柳沢家が藩主になってかららしいです。

    f:id:xnorico:20190710141640j:plain

「追手門」を支える石垣も、見事ですね!

f:id:xnorico:20190710140648j:plain

追手向櫓 1987年再建

この「追手向櫓」も「追手門」が攻撃された時に備える、もう一つの櫓です。

立派ですね!

 

「多聞櫓」です。十九間あるそうです。

f:id:xnorico:20190710140441j:plain

まだ寒い時期なので、外に置かれている梅は咲いていません。残念…( ;∀;)

f:id:xnorico:20190710140305j:plain

多聞櫓 1981年再建

往時の様子がよくわかる、非常に素晴らしい門と櫓だと思います。

これらの再建建築物によって、郡山城の往時の姿に想いを馳せることができますね(*'▽')

 

奈良の街並みをパノラマビュー出来る!天守台展望施設

次は、一番のおすすめの「天守台展望施設」へ向かいます。

f:id:xnorico:20191115015826j:plain

崩落の恐れがあった天守台の石垣の修復と展望施設の整備が終わり、2017年3月から、一般公開されてます。

f:id:xnorico:20190709233936j:plain

郡山城天守台展望施設

郡山城跡の石垣は見どころの一つです。

筒井順慶が築城する際、石不足だったため、奈良中から、寺々の庭石や礎石・五輪塔・石地蔵などを接収し、石垣に使いました。

それらは「転用石」と呼ばれています。

f:id:xnorico:20190709234205j:plain

「転用石」が多く使われている石垣

そればかりか、多聞城の石材や、さらには平城京羅城門の礎石なども使われたそうです。

石垣の隙間を埋めるために、様々な石が使われているのがよくわかり、とても興味深いです。

 

その中でも有名なのが「さかさ地蔵」です。

     f:id:xnorico:20190709234521j:plain

f:id:xnorico:20190709234542j:plain

石造地蔵菩薩立像が逆さに積み込まれています

…お地蔵様の頭が下になっているのが、おわかりいただけますでしょうか?

 

こんなぞんざいに突っ込むなんて、戦国時代は、よっぽど石垣用の石が足りなかったようですが(奈良県は上質の石が少なかったそうです)…

さすがにというか案の定というか、この天守は、逆さ地蔵の祟りで倒壊した…という俗説が残っているようです。

現在は、地元の方々によって祀られています。

また、お地蔵さまのところにお賽銭を供えている方もおられます。

 

では、展望施設からの景色です。

f:id:xnorico:20190709235842j:plain

若草山が見えます

展望台から東を向くと、東大寺・春日大社方向です。若草山が見えます。

 

f:id:xnorico:20190709235411j:plain

展望台から西向き。旧・三の丸があった辺りです。

 

f:id:xnorico:20190709235432j:plain

追手向櫓と多聞櫓が見えます。

 

f:id:xnorico:20190709235908j:plain

なんと 薬師寺も見えます

展望台から西南方向は、西ノ京で、現在修理中の、薬師寺東塔の覆屋が見えます。
 

他にも、大和郡山の街並みはもちろん、平城京大極殿まで見えます。

奈良県には、高い建物が少ないので、貴重なビューポイントと言えると思います。

  

大和郡山城の天守閣は、どのように建てられ、どのように破壊されたのか…と言ったことは、詳しくはわかっていないそうです。

もしかすると、天守台が完成して間もない頃に、戦場になってしまい、工事が中止になったのかもしれないし、その頃に起きた大地震で倒壊したのかもしれないし…

いろいろな説がありますが、真相は闇の中です。

ただ、江戸時代に郡山城が再建された時も、天守閣はもう建てられることがなかったことは確実なようです。

 

藩祖を祀る柳沢神社は学問の神様

天守台の隣にあるのは「柳沢神社」です。

この神社へは、城外から別ルートで行くことも出来ます。

 

近鉄の線路に沿って歩いていき、踏切を超えて郡山城への坂を登っていくと、左手の旧・二の丸跡に建つ学校が見えます。

県内有数の進学校で、城内に校舎がある県立郡山高校です。

その向かい側にある橋を渡ると「柳沢神社」の鳥居があります。

この神社には、藩祖である柳沢吉保が祀られています。

f:id:xnorico:20190709232845j:plain

拝殿には、郡山高校美術部の生徒たちが作った絵馬が飾られていました(*'▽')

f:id:xnorico:20190709232904j:plain

立身出世、学問の神様と仰がれる柳沢吉保公が祀られています

    f:id:xnorico:20190709233315j:plain

f:id:xnorico:20190709233255j:plain

見事なご神木です

柳沢吉保は、江戸幕府5代将軍綱吉に、側用人として重用された人物であることから、「立身出世」「学問の神様」として、信仰を集めています。

また、桜の時期の「お城まつり」の時には、境内に屋台が出て賑わいます。

 

柳沢文庫 

では、柳沢神社から、お城の東側に向かいます。

f:id:xnorico:20190710134032j:plain

f:id:xnorico:20190710134053j:plain

f:id:xnorico:20190710134228j:plain

ちゃんと撮れている写真がなくて申し訳ないですが…

左側の建物が「柳沢文庫」です。

藩主であった柳沢家所蔵の書画や、郡山藩の公用記録をはじめとする藩政史料が公開されています。

また定期的に、展覧会なども行われています。

 

《柳沢文庫・利用案内》

〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2-18

入場時間 9時~17時(入室は16時半まで)

休館日 月曜日・祝日(月曜日が祝日の場合は翌火曜も休館)・第4火曜日・お盆休み

    ・年末年始

入場料 大人200円 大学生・高校生100円

柳沢文庫問合せ電話番号 0743-58-2171

柳沢文庫についてはコチラ

 

盆梅展

今年で16回目を迎える、大和郡山城跡の「盆梅展」(毎年だいたい2月初旬~3月中旬くらいまで)。

すっかり、年中行事として定着してきたようです。

…が、大和郡山城跡はまだまだ桜の方が有名なので「盆梅展」の存在を知らない方もいらっしゃると思われます。

 

私自身は正直、盆梅にはあまり興味がなかったのですが、普段入ることが出来ない「追手門」「追手向櫓」「多聞櫓」の中で開催されていると聞き、建物への興味で入館することを決めました(;'∀')

f:id:xnorico:20190710135804j:plain

城内から見た 追手門

《2020年盆梅展・利用案内》

期間 2020年2月8日(土)~3月10日(火)

入場時間 9時半~16時半(土日祝日は17時まで)

入場料 大人500円(前売り券は400円) 小学生以下は無料

期間内無休

盆梅展電話番号 0743-54-3050

盆梅展についてはコチラ

f:id:xnorico:20190710140540j:plain

f:id:xnorico:20190710135359j:plain

    f:id:xnorico:20190710135429j:plain

盆梅は、思いのほか、迫力があります!

    f:id:xnorico:20190710135500j:plain

    f:id:xnorico:20190710135523j:plain

実際に目にするまでは、盆梅がこんなに豪華なものだと知りませんでした(;^ω^)

そんな、手塩にかけて育てられた梅を、郡山城の普段は入れない建物の中で見れるのですから、価値があると言えます。

建物の中は、間口や廊下の感じに、お城独特の雰囲気を感じました。

 

f:id:xnorico:20190710135831j:plain

盆梅展の会場から出ると、城内の梅は五分咲き?といったところでした。

2月下旬くらいに行くと、満開の梅の花が見れるのかな?

 

《参考文献》 

まとめ

大和郡山城跡公園を歩いてみて、城内の広さに驚きました。

さすが、豊臣秀長の時代、100万石太守のホームのお城だっただけのことはあります!

まだまだ整備していく計画があるみたいなので、これからも期待できそうです。

 

また、桜のイメージが先行していた大和郡山城跡ですが、梅の時期もとてもいいことがよくわかりました。

「盆梅展」はもちろんですが、周囲の梅の木も、見頃の時期に行けば、かなりいいフォトスポットになると思います♪

 

最後に…

今回、部分部分の写真ばかりだったので、近鉄線の向かい側の「やまと郡山城ホール」の前から撮影した追手東隅櫓からの一枚を貼っておきます。

2018年のまだ3月中旬でしたが、桜の開花と満開が例年より早かった年だったので、もう枝垂れ桜が咲き始めています。

f:id:xnorico:20190710144519j:plainこの日は1人息子の卒業式でした。

この日から約10日後、息子は家を出て、就職先の会社の寮へと旅立っていきました。

ちょっと思い出して、ウルっときちゃいました(T_T)

 

 

※尚、別ブログ「クマ子の卒母DAIRY」の最新記事では、クマ子の子育て振返りエッセイを書かせていただきました♪

サラッと読めますので、コチラにも立ち寄っていただけると嬉しいです(*'▽')

www.xkumaco.com

 

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。