奈良市にある喜光寺(きこうじ)は、東大寺の大仏建立に尽力したことで知られる行基入寂のお寺です。
元明天皇勅願寺…という伝承があったり、聖武天皇が行幸したりと、奈良時代には輝かしいお寺でしたが、明治の初めの廃仏毀釈により、昭和の頃には荒廃してしまっていました。
しかし、平成の時代に見事に復興をとげ、今では「蓮のお寺」としても知られています。
それでもまだまだ、他の蓮のお寺(唐招提寺・薬師寺など…)に比べると知名度は低いかと思われる喜光寺の、知られざる魅力をお伝えしたいと思います(*'▽')
世界遺産・薬師寺の末寺として復興
クマ子は昔から、奈良市より阪奈道路に向かう道の北側に、古い、けれども綺麗な形のお堂が一つだけ、ポツンと建っている、お寺のような場所があることは知っていました。
ところが、10年ほど前に、綺麗な朱い門がそのお堂の前に建っているのを見て驚いたことを覚えています。
時が流れ、奈良まほろばソムリエ検定の勉強をしているうちに、そのお寺が「喜光寺」というお寺であることを知りました。
今回、実際に訪れてみて、喜光寺の住職が、薬師寺長老・山田法胤さんであることを知り、お写経勧進で復興していることもわかりました。
現在は、世界遺産に認定されている大寺であり、大変美しい薬師寺ですが、戦後は荒廃しきっており、その復興を手がけたのが、有名な高田好胤さん(故人)でした☟
※この記事では、薬師寺の蓮の花の様子も見ることができます☝
その薬師寺の流れを汲んでいるのか、喜光寺では「いろは写経」というものを体験させていただけるようです。
また、住職の法話も聞けるようで、薬師寺の長老でもある山田法胤さんのお話なら、素晴らしいに違いない❕
これは、そのうちぜひ行ってみたいと思っています。
平成の復興伽藍
では、入口の南大門から入っていきます。
…が、その前に、南大門の左右に安置されている金剛力士像を見ていきましょう。
立派な仁王像ですね(*'▽')✨
本堂しか残っていなかったお寺の玄関である南大門。
復興までの道のりは、とても大変だったことと思います。
その南大門の二層目に、参拝者が結縁した「いろは写経」 が収められています。
南大門から入って、左手(西側)には、真新しいお堂が。
「佛舎利殿」だそうです。
どうやら、最近落慶されたお堂のようです。
手前の蓮が、とても綺麗ですね✨
また、本堂裏手の西側にあるのは行基堂☟
喜光寺の正式な縁起によると、養老5年(721年)行基によって創建された…となっています。
行基は奈良時代の僧で、東大寺の盧舎那仏大仏造顕に尽力し、日本で最初に大僧正の位を授けられたことでも知られています
「行基菩薩」「行基大徳」とも称えられていますが、それは数多くの社会事業を行ったからでもあります。。
寺にとっては、開山者であり、また、喜光寺自体が、著名な行基菩薩が亡くなった場所ということもあり、お寺にとって、このお堂は大切なものだと言えると思います。
この行基菩薩坐像は、作られてから年月が経っているように見えますが、現在、唐招提寺所蔵となっている行基菩薩坐像(鎌倉時代・重要文化財)を正確に模刻したそうです。
思わず、手を合わせてしまうような、威厳のあるお顔をされています。
圧巻の本堂「試みの大仏殿」
ところで、荒廃していた間も、ずっとこの地に建ち続けていた本堂です☟
喜光寺は、奈良時代には大変栄えましたが、平安・鎌倉時代には世情の混乱に伴い、荒廃していってしまいます。
しかし、鎌倉時代の1275年頃から、西大寺中興の祖である叡尊により復興され、また一乗院門跡の隠棲地とされます。
ところが、室町(戦国)時代の1499年に、大和国に攻め込んできた細川政元の家臣・赤沢朝経によって焼き払われてしまいます。
その後、1544年に再建されたのが、現在残る本堂です。
行基が喜光寺の金堂を参考に、これを10倍の規模に拡大して東大寺の大仏殿の造営にあたった…との伝承から「試みの大仏殿」とも呼ばれています。
本当に美しい…✨
確かに、まるで、こじんまりとした大仏殿のようですね。
中の仏像も一見の価値あり!
本堂のご本尊は「阿弥陀如来像(重要文化財・平安時代)」。丈六仏といわれる、大きな仏像です。
故人的には、両侍の勢至菩薩坐像と観世音菩薩坐像がとても美しく優しくて癒されました。
とても美しい幸せな空間でした✨
さて、本堂の扁額には「菅原寺」と書かれていますね。
喜光寺の始まりとして伝わっているのが、奈良時代の721年に、寺史乙丸(てらのふひとおとまる)という人物が寄進した旧宅に、行基が精舎を構えた…ということなのですが…。
この寺史乙丸という人は、土師(はじ)氏であり、後に土師氏は菅原氏と改名します。
このため、この付近は「菅原の里」とも呼ばれ、菅原道真の生誕地という伝承もあるようです。
このように、もともとここは「菅原寺」という名前だったのです。
ですが、748年に聖武天皇が行幸された際、ご本尊より不思議な光明が放たれ、そのことを喜ばれた天皇より「喜光寺」という寺号を賜ったとされています。
魅力的な47体の石仏
本堂の西側に、石仏がたくさん並んでいるところがあり、この季節はその前に、蓮の鉢が並べられています。
ついつい、蓮に目を奪われてしまうのですが…
境内に散在していた47体の魅力的な石仏(江戸時代)が一か所に集められています。
これらは、不動明王・観音菩薩・地蔵菩薩・阿弥陀如来など、多岐にわたっています。
これらの石仏群も必見です✨
でもやっぱり、蓮に目がいっちゃう~(;^ω^)
弁天堂と秘仏
ところで、本堂の裏手に、池の中に浮かぶいい感じのお堂があります。
喜光寺の弁天堂は、鎌倉時代に活躍した、喜光寺中興の祖である叡尊が、鎌倉の江ノ島弁財天から勧請したと伝わっています。
この池でも蓮の花が咲くそうなのですが、あいにく私が来訪した日は、まだ花は咲いていませんでした。
この中に安置されているのは、秘仏の宇賀神像。
そしてラッキーなことに、私の来訪日に、その噂の秘仏見ることができたのです。
この弁天堂が開扉されるのは、6月7日から8月18日で、ちょうどその期間に行った、悪運強いクマ子でした(・ω・)ノ
秘仏・宇賀神像は、少し個性的☟
学問・芸術・財福等に、霊験あらたからしく、これは、ぜひお参りしたい仏さまですね。
尚、宇賀神像は、お写経道場にて拝観することができます。
喜光寺拝観情報&アクセス
《喜光寺・拝観情報》
所在地 〒631-0842 奈良県奈良市菅原町508
電話番号 0742-45-4630
拝観時間 9時~16時半(最終受付16時)
7時~16時半(蓮の開花時期の7月中の土日祝日)
通常拝観料 大人500円・小中生300円
《公共交通機関でのアクセス》
◦近鉄橿原線・尼ヶ辻駅より徒歩約10分、または近鉄奈良線・西大寺駅より徒歩約20分
◦近鉄奈良駅より「学園前(南)」行→阪奈菅原停留所 下車すぐ
近鉄学園前より「高畑町」行→阪奈菅原停留所 下車すぐ
《自家用車でのアクセス》
第二阪奈道路・宝来IC下車 約2分
京奈和自動車道・木津IC下車 約15分
※南大門前無料駐車場有(約15台)
《参考文献》
まとめ
さて、蓮の花で知られる喜光寺をご紹介させていただきました。
喜光寺の蓮の見頃は、だいたい6月中旬から8月上旬までです。
あともう少し、蓮を楽しめそうですね(*´ω`)♡
ところで、室町時代1499年に復興した喜光寺は、戦国時代の1544年に、またもや兵火に遭い、本堂を残して全ての堂宇が灰塵に帰してしまいした。
この時の焼討も、松永久秀によるものでした。
前回の「般若寺」の記事の中でも触れましたが、松永久秀によって焼かれたお寺や神社は、奈良市内には多いですね💦
さて、奈良市観光協会により企画されている「奈良・西ノ京 ロータスロード」は、4つのお寺(唐招提寺・薬師寺・西大寺・喜光寺)で構成されていますが、クマ子はそのうちの3つのお寺に行ったことになります(残すは西大寺のみ)。
以下、奈良県の蓮の名所をご紹介いたします。
唐招提寺の蓮はコチラ☟
薬師寺の蓮はコチラ☟
ですが、奈良県下での蓮で、クマ子の一番のお気に入りは、藤原京跡の蓮です☟
大和三山に囲まれた藤原京跡の一角に広がる、蓮畑の美しさは必見です✨
最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>