奈良県の田原本町に、名前を覚えるのが難しい神社があります。
その名は「村屋坐彌冨都比賈神社」。
「むらやにいますみふつひめじんじゃ」と読みます。
噛みそうですね(笑)。
田原本町と言えば、弥生時代の「唐古・鍵遺跡」で有名なところです☟
そんな田原本町の中でも、民家より田畑が多い印象があるエリアの神社で、ひっそりと佇んでいる印象があります。
…ですがここも、行ってみたら、歴史的価値のある素晴らしいスピリチュアルゾーンでした✨
また、つい最近、この神社から徒歩3分のところに、話題の新しいお宿もオープンしましたので、今回はこの「村屋坐彌冨都比賈神社」をご紹介していきたいと思います(*'▽')✨
大和国一ノ宮である大神神社の別宮と呼ばれている
この「村屋坐彌冨都比賈神社」のご祭神は「三穂津姫(みほつひめ)命」で、大神神社のご祭神である「大物主命」の奥さまです。
※う~ん、この神社、神様のイラストが、なかなか個性的…( ̄▽ ̄;)←クマ子の心の声(笑)
大物主命の妃神を祀っていることから、大神神社の別宮とも言われ、大神神社に参拝する際は、併せて参拝するとよりいっそうご利益が得られる…とされています。
※「大神神社」についてはコチラ☟
日本書紀によると、三穂津姫命は、天地開闢の際に二番目に降臨したと言われている「高皇産霊命(たかむすびのみこと)」の娘とされていて、大物主命が国譲りをされた時、その功に報いるためと大物主命の二心のないようにとの願いから、大物主命の妻となられました。
その際に、高天原から3本の稲穂を持って降りられ、稲作を広め国を豊かにした「内助の功」にあたる神ともいわれています。
これらのことから、この「村屋坐彌冨都比賈神社」のご利益は、
・縁結び
・家内安全
・商売繫盛
とされ、地元の方々からより、厚い信仰を受けています。
ところで、大物主命の奥さまと言えば…
前回、記事にさせていただいた「箸墓古墳」の被葬者とされている倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)も、確かそうだったはず…💦
※「箸墓古墳」についてはコチラ☟
コチラの記事では「箸⁈」というリアクションの方が多かったです💦
「箸」がらみで、ガクブルの展開でしたよね(゚Д゚;)
そんな恐ろしい思いをされた倭迹迹日百襲姫命なのに…
大物主命には、他にも奥さまがいたなんて…(ノД`)・゜・。
さらに調べてみれば、大物主命の奥さまは他にも、勢夜陀多良比売や活玉依姫(いくたまよりひめ)などの姫の名前が出てきます💧…
そう思うと、古代の姫さま方は大変です…(T_T)
「壬申の乱」でも功績がある神社
さて、この村屋坐弥冨都比賣神社は、古代の天下分け目の争い…と言われている「壬申の乱(天智天皇崩御後、弟の大海人皇子と、息子の大友皇子が後継者の座を巡って戦った)」の時も活躍したことが、日本書紀に記されています。
天武天皇元年(673年)「村屋神」が当時の宮司にのりうつり、大友皇子方の軍勢の来襲を、大海人皇子方の将軍である大伴連吹負に伝え「社の中ツ道を防げ」と助言し、見事、大海人皇子軍を勝利に導きました。
村屋坐弥冨都比賣神社は、この功績により、天武天皇となった大海人皇子から、神社として初めて位階を皇室から賜りました。
この神社周辺は、中ツ道沿いにあり、また大和川に繋がる初瀬川の水運もあり、昔は参拝客も多く、市も立ち、大変賑わったようです。
その後、戦国時代の織田信長と十市氏の戦いでの兵火に遭い、さらに江戸時代に田原本藩ができたことによって、商人が移住し、この周辺は寂れていってしまいました。
境内を歩く
それでは、境内の様子をご覧ください。
鳥居の前に、普通に近所の方の車が停められていますね(;^ω^)
しばらく行くと、二の鳥居が見えてきます。
この「久須々美神社」には、倭鍛冶の祖神と、商売繫盛の神が祀られています。
服部神社には、服飾全般を司る神様が祀られています。
ひっそりした神社なのですが、延喜式では「大社」に列せられているだけあって、風格が感じられます。
聖徳太子の時代にも痕跡を残す
さて、境内には、池が一つあり…
この池の中に、神社があります。
その名は「物部神社」。
ここ物部神社は、二の鳥居を過ぎて、拝殿に行くまでの東側にあり、池の中に位置することから、境内にありながらも、少し違う空間にいるように感じます。
この神社の名前の「物部」は、飛鳥時代の朝廷での有力な臣下であった「物部守屋」に由来します。
587年、若かりし頃の聖徳太子も戦いに加わったという、崇仏派の蘇我馬子と、排仏派の物部守屋との戦いが起こりました。
その結果、敗者となった物部守屋の息子の雄君が、息子の押勝を連れて、この村屋坐彌冨都比賈神社へと落ち延びてきます。
神社では、しばらくの間匿いましたがその後、跡取りのいない当時の宮司家に、息子の押勝を託し、物部雄君自身はさらに美濃へと落ち延びていったと伝えられています。
このため、物部守屋の孫が宮司家の当主となり、現在までその血筋が続いているとされています(姓は室屋)。
ただし、信ぴょう性には少し疑問がつく部分もあるようです💧
また、池に浮かぶ島のように見える神社であることから弁天信仰が起こり「市杵島姫神社(弁天さん)」とも呼ばれています。
余談ですが、私は、この「物部神社」に来ると、いつも背中がゾワゾワして、誰かに見られているような気がしてきます…。
ふだんは、あんまりそういったことがない、霊感ナシ人間なんですけど…(゚Д゚;)
それだけ、霊験あらたかなのだと思っています✨
三輪山を眺めることができる位置
さて、一通り境内を回ったところで、神社を出て、初瀬川沿いにある初瀬川展望公園に向かいます。
すると…川の向こうに大神神社のご神体山である三輪山が、バッチリと見えます。
この村屋坐彌冨都比賈神社のご祭神・三穂津姫命が、夫君である大神神社のご祭神の大物主命を思いながら、眺めることができる位置になりますね。
三穂津姫命を想うと、この距離に、ちょっと切ない気持ちになりました(T_T)
《村屋坐彌冨都比賈神社 参拝情報 》
所在地 〒636-0234 奈良県磯城郡田原本町蔵堂426番地
電話番号 0744-32-3308
拝観無料 境内自由
※大変充実したHPだったので、この記事を書くにあたり、一部参考&引用させていただきました<(_ _)>
《村屋坐彌冨都比賈神社へのアクセス》
公共交通機関でのアクセスは…
◦近鉄橿原線田原本駅から、東へ2.5km タクシーで10分
◦あるいは…田原本町前観光案内所「磯城の里観光ステーション」でレンタサイクルすると便利です。
自家用車の場合は…
◦西名阪自動車道・郡山ICまたは天理ICから約20分
駐車場は、二の鳥居前・社務所前・初瀬川展望公園にあります(無料)
《参考文献》
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醤油蔵を改造したお宿「マルト醬油」
初瀬川沿いに佇む、とても静かな、歴史ある村屋坐彌冨都比賈神社。
2020年秋に、神社のすぐ近くに「田原本 マルト醤油」という、奈良県最古の醤油蔵を改造した、とても個性的なお宿がオープンしました。
GOTOキャンペーンもあり、予約も埋まり、大変人気のようです。
田原本町の中でも、一番人口減が多いエリアですが、これを機会に活気が出て、この辺りの良さが見直されることを願っています✨
そして、地元民であるクマ子は泊まることがないと思うので(笑)、行かれた方のブログを楽しみにしております(*'▽')
最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m