kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

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ミステリアス✨巨大な前方後円墳「島の山古墳」

前回は、奈良盆地の中央部分に位置する、能楽・観世流発祥の地「面塚」と「糸井神社」について書かせていただきました☟ 

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今回は、その「面塚」と「糸井神社」からほど近い場所にある、巨大な前方後円墳「島の山古墳」(奈良県川西町)をご紹介させていただきます(*'▽')✨

 

 

巨大な前方後円墳「島の山古墳(国指定史跡)」

さて、糸井神社を出て、再び寺川を渡り、西へ9分ほど歩くと、民家の中にある巨大な古墳に到着します。

島の山古墳

外周から見た 島の山古墳

 

横から見ると、池に囲まれた森のように見えますが、空から見ると、見事な形の前方後円墳であることがわかります。

 

《島の山古墳》へのアクセス

近鉄橿原線結崎駅より、徒歩23分

西名阪自動車道・法隆寺ICより東へ、約6分

築造時期は、4世紀末~5世紀初頭(古墳時代前期末)と言われていて、全長は190m、周濠を含めると265mにも及ぶ巨大な古墳です。

 

そして、さらに素晴らしいのが出土品です✨

1996年、橿原考古学研究所が前方部墳頂で未盗掘の粘土槨(全長約8.5m)を発掘し、道鏡3面、勾玉・管玉・ペンダント付き首飾り・小刀、祭祀用植物性籠などを発見しましたが、中でも話題になったのが、1400点もの手玉(女性用腕輪か)です。

出土品は1998年に国の重要文化財に指定されていて、現在は橿原考古学研究所で見ることができます。

 

また、後円部墳頂にも埋葬施設が存在したが、明治時代に盗掘され、多量の石製腕飾類や石室の石材が取り出されたといわれていて、流出した一部は、なんとアメリカのメトロポリタン美術館にも展示されていますΣ(゚Д゚)

ちなみに、後円部は竪穴式石室で、複数埋葬制となっていたようです。

 

すぐ横にある「比売久波神社」

この、島の山古墳のすぐ北西隣に、静かに佇む「比売久波(ひめくわ)神社」があります。

島の山古墳

古墳の北側から見ると、右手に比売久波神社が見える



古墳の南西にある道から入るとすぐの、道路のところに鳥居があるのに出くわします。

恐らく、一の鳥居だと思われます。

島の山古墳

比売久波神社 一の鳥居

 

そのまま、北に進んで行くと、比売久波神社入口の鳥居が見えてきます。

島の山古墳

比売久波神社 二の鳥居

島の山古墳

比売久波神社の名を刻んだ石碑

 

島の山古墳

 

古墳の横に静かに佇んむ小さな神社ですが、れっきとした『延喜式』式内社です。

比売久波神社

風格のある 拝殿と狛犬

 

ご祭神は「天八千千媛(あまはちちひめ)」と「久波御魂神(くわみたまのかみ)」。

ご神体は「桑の葉」と言われていて、 天八千千媛が蚕を飼い、絹織物を織った伝説が残されています。

 

これは、前回訪問した糸井神社の社伝と同じで、この「比売久波神社」も、渡来系の織物技術者集団に関連する神社と考えられます。

比売久波神社

とても静かな領域

 

ところで、家に帰ってから調べた時に「本殿と拝殿の間にある平石は、島の山古墳・後円部の竪穴式石室の天井石である」との記述を発見💦

探してみたら、ギリギリ❓💧、ほんのりと写っていました(;´・ω・)

比売久波神社

青丸で囲んだあたり、平石かもしれない💦

 

いつもながら、事前に調べてから行かないと…と反省(そして、すぐに忘れる💧)。

 

また本殿は、江戸時代初期に、春日大社摂社若宮神社本殿を移築したもので、奈良県の文化財に指定されています。

この辺りの経緯も、糸井神社とそっくりですね(/・ω・)/

比売久波神社

本殿 一間社春日造になっている

 

さて、前回ご紹介した「糸井神社」と共通項も多く見られ、やはり、この一帯で栄えたという織物技術者集団がいたという事実も、ご祭神は「桑の葉」ということとも符合します。

 

こういったことから、島の山古墳に埋葬されているのは、この集団の首長だと考えられています。

中でも、出土品(1400点もの手玉・女性用腕輪か)から、女性ではないか…とも。

 

ところが、この「比売久波神社」も「糸井神社」も、ご祭神は女性なんですよね。

もしかすると、もしかするかも…と考えると、小さな神社ですが、ミステリアスで、ゾワゾワするようなワクワクするような…✨

 

また、この「島の山古墳」は蘇我入鹿の墓である…という伝承も、この付近にはあるようです。

古墳の築造年数と、入鹿の生きた時期が違うため、それは伝承に過ぎないのでしょうが、聖徳太子の嫡男である、山背大兄王を滅ぼしたとされる蘇我入鹿のお墓が、聖徳太子ゆかりの太子道にある…という言い伝えからも、ミステリアスな雰囲気が感じられてしまうのは私だけでしょうか(;^ω^)?

「島の山古墳」についてはコチラ 

  

 《参考文献》 

 

まとめ

島の山古墳

島の山古墳の周濠の周りは、散歩に最適

 

前回の記事で取り上げた「面塚」と「糸井神社」周辺と、今回の島の山古墳周辺とに、共通項がたくさん見られました。

今でこそ、この辺りは寂れていますが、昔は水運が一番の交通手段であり、近くの大和川支流の寺川辺りで、大いに発展した集団の痕跡を垣間見ることができました。

 

最後に余談となりますが、島の山古墳周濠南側は、こんなふうになっています☟

島の山古墳

ささやかではありますが、まるで、伊根の舟屋(京都府)みたいなのですよ(船はありませんが…)。

伊根の舟屋

伊根の舟屋 ~伊根町観光協会HPより引用~

 

島の山古墳のお家も、反対側の道路から見たら、いたって普通の建物に見えます。

そういうところも、実に伊根の舟屋っぽいな…と、海のない県で見つけた景色が、ちょっと嬉しかったクマ子でした(;^ω^)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>