一年以上も放置していた法隆寺シリーズ、久々の再開です(;^ω^)💧
前回は、法隆寺のメインであり、1つ目の有料エリアである「西院伽藍」のことを書かせていただきました☟
今回は、2つ目の有料エリアである「大宝蔵院」をご紹介します。
ここは、法隆寺のいわゆる「宝物殿」です。
そうなのです、前回の西院伽藍エリアは、伽藍内の建物がすべて国宝✨(しかも、内部の仏像等も国宝・重要文化財だらけ)…というビックリ空間だったのですが、この「大宝蔵院」にも、すごい国宝が盛りだくさんです( ̄▽ ̄;)
尚、今回のエリアは以下の境内図の黄色で囲った部分となります。
- 大宝蔵院とは
- 悪夢を吉夢に…夢違観音
- エキゾチックな美しさ…九面観音像
- 涙の跡が印象的…地蔵菩薩像
- 玉虫の羽根が敷きつめられていた…玉虫厨子
- 不思議な美仏・百済観音
- 愛らしい仏さま・橘夫人厨子と念持仏
- 奈良時代の重要遺物・百万塔
- 火災を免れた金堂壁画・飛天
- まとめ
大宝蔵院とは
世界最古の木造建造物で名高い法隆寺の境内の中で、もっとも新しい建物で、1998(平成10)年に完成しています。
中央に百済観音堂を配置し、その両脇が東宝殿・西宝殿で、法隆寺に伝わっている数多くの宝物を収納するために建てられました。
場所としては、西院伽藍の東に聖霊殿(国宝ですが無料です)がある、そのさらに東隣に改札があり、そこで参拝券を提示(ない場合は購入)して入っていきます。
大宝蔵院自体は、少し奥まったところにあるため、歩いて行く西側にある高床式の建物が目に入ると思います。
なんとこの建物も国宝で「綱封蔵(こうふうぞう)」と呼ばれています。
無料エリアの建物となりますので、詳しい説明はまたの機会に譲るとしますが、こちらは法隆寺の倉庫として使われていたものです。
せっかく、国宝の建造物が間近に見れるチャンスなので、大宝蔵院に入る際には、こちらもじっくり見ながら歩くことをおすすめします。
さらに歩いて行くと到着です。
新しいので、少し法隆寺らしくない建物ではあります(;'∀')
中は、本当に宝物だらけなのですが、ここでは、主だったものをご紹介します。
悪夢を吉夢に…夢違観音
夢違観音…とても素敵な名前ですが、正式名称は「観音菩薩立像」です。
悪夢を吉夢に変えてくれると伝わっている観音像で、全体的にやわらかくゆったりとした像の姿が、人々を魅了してきました。
江戸時代中頃には、東院伽藍の絵殿の本尊だったともいわれていますが、古い時代の由来は不明です。
移動しやすい大きさのためか、いちばん海外に出陳されている仏さまです。
エキゾチックな美しさ…九面観音像
小さなお姿ながら、とても目を惹く美しさの観音さまがあります。
「九面観音像」は、本面と頭上の八つのお顔を合わせた九つの顔を持つ観音像で、白檀の一木から彫られた緻密な名品で、小さい仏像ですが、とても端正なお顔をなさっています。
養老3(719)年、唐より請来されたといわれています。
涙の跡が印象的…地蔵菩薩像
大きな地蔵菩薩さまですが、左頬にあるシミが、涙の跡ように見えて、とても印象的な仏さまです。
こちらは、この春の奈良国立博物館での「聖林寺十一面観音特別展」にも出陳されていました☟
実は、本当に涙の跡に見えてしまうようなストーリーを、この仏さまは持っています。
それは、明治初期の廃仏毀釈の際に、数奇な運命をたどったことです。
もともと、この地蔵菩薩像は、大和国一ノ宮である大神神社の神宮寺だった「大御輪寺」に安置されていましたが、神仏分離令が出た際の慶応4(1868)年に、住職の相弟子がいた聖林寺へと移されました。
さらに5年後の明治6(1873)年、聖林寺より法隆寺北宝院へと移され、現在に至ります。
なお「大御輪寺記」には、この地蔵菩薩は聖徳太子の刻むところという伝承があることから、法隆寺にたどり着いたと思われるとの記載が残されています。
玉虫の羽根が敷きつめられていた…玉虫厨子
上部の金銅の宮殿部と、下の須弥壇との、二つの部分から構成されている厨子です。
「玉虫厨子」という不思議な名は、透かし彫りの金銅の金具の下に、玉虫のオスの美しい羽根を敷きつめていることから、この名がついたと言われています。
須弥壇の部分の表面の絵は、漆を何度も塗り重ね、顔料で彩色した精巧なものです。
中でも、須弥壇側面に描かれている、釈迦の前世物語である「施身開喝図」「捨身飼虎図」が見どころです。
特に「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」は、薩埵(さった)太子が、飢えた虎の親子を救うために身を投じる場面が描かれています。
これは、大乗仏教における利他の精神を象徴するもので、聖徳太子の推し進めた仏教思想との関連を指摘する説もあります。
不思議な美仏・百済観音
大宝蔵院は、東と西に一棟ずつありますが、それらの建物を繋ぐ位置にあるのが「百済観音堂」です。
このように「百済観音像」は、宝物だらけの法隆寺の中でも、専用の安置場所があるという、いわば別格扱いの仏さまです。
そのお姿は、2m以上もある長身の観音さまで、我が国を代表する仏像として、世界的にも有名です。
左手に水瓶を持って立つ姿は、不思議な雰囲気を漂わせ、見る者を魅了します。
そして、由来もまったくわからず、謎を秘めたまま立ち続けているとされています。
寺伝には、朝鮮半島にあった百済国より渡来したとあるようです。
愛らしい仏さま・橘夫人厨子と念持仏
阿弥陀如来が、蓮池からのびた蓮の花の上に座り、両脇の蓮のつぼみの上に、2体の脇侍が従う…✨
また、蓮の花の上に立つ、三尊像の意匠が見事です。
「橘夫人」というのは、聖武天皇皇后・光明皇后の母であり、日本史上でも屈指の大政治家であった藤原不比等の妻だった「橘三千代」のことで、厨子に扉をつけたのは、光明皇后ではないかとも言われています。
奈良時代の重要遺物・百万塔
「百万塔」は、奈良時代の称徳天皇が、恵美押勝の乱によって起こった人々の動揺を鎮め、政争の滅罪を願って作ったもので、764年に作り始められ770年に百万基が完成したと言われています。
木造の小塔で、塔身部の中心をくり抜き、印刷されたお経が収納されており、世界最古の印刷物です。
興福寺・東大寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺・弘福寺の大和八大寺と、四天王寺・崇福寺の二大寺の、合わせて十大寺に分置されたが、現存するのは法隆寺のみで、とても貴重なものです。
火災を免れた金堂壁画・飛天
昭和24年に起きた、金堂火災の際、たまたま取り外されていたため難を逃れた、壁画の上部にあった小壁の天人の壁画です。
「法隆寺金堂の火災について」はコチラ☟
全部で20面ありますが、ここにはその一部が展示されています。
《参考文献》
まとめ
法隆寺の宝物殿である「大宝蔵院」の見どころをご紹介しました。
これは実は、ほんの一部で、大宝蔵院にはまだまだたくさんの宝物があります。
法隆寺に行かれる際には、皆さま方それぞれのお気に入りの宝物を見つけてみてくださいね✨
なお、大宝蔵院を出ると、食堂のそばを通ります。
こちらの建物も国宝ですので、じっくり見ながら歩いてみてくださいね❣
※法隆寺参拝についての情報は、コチラをご覧ください☟
最後までお読みいただき、ありがとうございました<(_ _)>