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法隆寺西院伽藍・美しさの中に悲しみを秘めた世界最古の五重塔

前回の記事では、奈良県斑鳩町にある世界文化遺産・法隆寺の顔とも言える「西院伽藍」の一部をご紹介しました☟ 

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今回は、西院伽藍・後半編として書かせていただきたいと思います。

ここには世界最古の木造建築物があり、西院伽藍の建物はすべて国宝に認定されています

 

  

美しさの秘密は逓減率・五重塔

法隆寺

五重塔 国宝・奈良時代


五重塔(34m)は、金堂よりやや後の、711年頃創建と考えられています。

前回の記事でご紹介した、金堂と並んで建っています。

 

もちろん、現存する世界最古の塔であり、1300年前に建てられた美しい建物の姿に、圧倒される空間です✨

法隆寺

金堂と並び立つ五重塔

 

この五重塔の特徴としては、上層にいくに従って塔身が細くなる率(逓減率)が大きくなっていることが挙げられます。

このため、五重は初重の半分の幅になっています。

 

また、屋根の傾斜が緩やかで長く延びていることと、塔の天辺に付けられている相輪(天辺の棒)の長さが塔全体の1/3になっています。

 

これらの絶妙のバランスによって、さらに、五重塔の美しさが際立っていると言えるでしょう✨

 

 

余談ですが、東京のスカイツリーの工法は、法隆寺・五重塔のものを参考に建てられています。

千年以上もの長い間、幾度か襲ってきた地震や台風にも耐えてきている、当時の技術が、現代においても、高く評価されている証でもありますね。

 「スカイツリー、モデルは法隆寺」日本経済新聞の記事より  

法隆寺

1300年間、五重塔を支え続けている力士

 

法隆寺の場合、仏舎利は五重塔の心柱の下に納められていました。

これは、本来の塔の役割を果たしていると言えます。

 

…が、この仏舎利が誰のものなのかは、未だ謎となっています。

 

 

さて、五重塔内部にも、素晴らしい世界が広がっています。

東西南北の四面に、711年に造られた塑像群がそのまま残されているのです。

法隆寺

北面 釈迦の涅槃の場面 悲しみにくれる侍者像が見事

 

他の三面は…☟

◦東面 維摩居士との問答

◦南面 弥勒菩薩が人々に説法している場面

◦西面 釈迦の舎利を弟子が分け合っている光景

となっていて、これらは必見です。

そして、日本では、彫刻の涅槃像は、これが一番古く、塑像群も当然ながら、国宝です

 

 

そんな素晴らしい五重塔ですが、反面、悲しい物語を抱えています。

 

法隆寺で、この塔が「現身往生の塔」と呼ばれている所以は…

 

聖徳太子が亡くなってから約20年後の、皇極2(643)年、

蘇我入鹿がさし向けた大軍に囲まれ、太子の嫡男であった山背大兄王とその一族25人の人々が、死期を悟って全員、塔の上から四方に飛行して亡くなった…という、悲しい伝説からきています。

法隆寺

金堂壁画の「飛天」を見ると、太子一族滅亡のストーリーが思い出される

 

現在残っている法隆寺は、聖徳太子が建てたものではなく、奈良時代に再建されたものであることが発掘調査から明らかになっているので、この五重塔は、その時のものではありません。

 

ですが、法隆寺にとっては、聖徳太子一族の滅亡という悲劇は忘れられないものであり、今に至るまで、末永く語り継がれているのです。

 

廊下だと侮るなかれ・廻廊も国宝

法隆寺

廻廊 国宝・奈良時代

 

さて、金堂・五重塔から少し離れ、西院伽藍をぐるりと取り囲んでいる廻廊に、視線を移してみましょう。

法隆寺

創建当時の西院伽藍

 

もともとは上の図の通り、大講堂・鐘楼・経蔵は、廻廊の外側にありました。 

 

法隆寺

現在の西院伽藍

 

現在の配置になったのは、10世紀末・平安時代に焼失した後、再建されてからです。

このため中門から五重塔・金堂にかけての部分は、創建当時のものとなっています。

法隆寺は、廻廊ですら、1300年前の意匠なのです(゚∀゚)

法隆寺

1300年もの間、受け継がれている廻廊


何度も修理を重ねながら、現代まで受け継がれてきた廻廊。

あまりの美しさに心惹かれ、すっかり廻廊マニア?になってしまったクマ子がいます(笑)。

法隆寺

廻廊から見える、伽藍の外の景色も素敵✨

 

法隆寺の大事な行事が行われる「大講堂」

法隆寺

大講堂 国宝・平安時代


西院伽藍の一番奥に位置する大講堂は、法隆寺の中で最大の建物です。

925年、落雷により創建時の建物を焼失し、990年に再建されました。

法隆寺

金堂と五重塔が素晴らし過ぎて、どうしても霞んでしまいがちな大講堂ですが、実は、修正会・涅槃会・仏生会・聖霊会・慈恩会など、法隆寺を代表する年中行事のほとんどが、この大講堂で行われています。

 

実際、去る4月上旬に行われた「聖徳太子1400年御遠忌法要」の時は、ここ大講堂が法要の舞台となりました。

 

「聖徳太子1400年御遠忌法要」についてはコチラ☟

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御遠忌法要のご本尊である「聖徳太子七歳像」が、法要期間中、安置されていたのです。

法隆寺

1400年御遠忌法要の時に、仏旗に彩られた大講堂

 

そして、その時のライブ中継で、大講堂のご本尊も映し出されました✨

法隆寺

薬師三尊像 国宝 平安時代

 

真ん中が薬師如来坐像、左が日光・右が月光菩薩です。

金堂に安置されている仏像に比べると、かなりの大きさがあります。

 

その他に、四天王立像(重文・平安時代)が置かれています。

国宝がぎゅうぎゅうに詰められている印象の金堂とは違い、大講堂の内部では、広々とした気分になります(;^ω^)

法隆寺

中門前からみる大講堂

 

柿食えば…「鐘楼」

法隆寺

鐘楼 国宝 平安時代


廻廊の東側、大講堂を見て右側にある「鐘楼」

西院伽藍の中では、西の経蔵に対応する位置にあります。

 

925年の大講堂焼失の際に類焼し、経蔵の様式に倣って再建された平安時代の建物となっています。

法隆寺

鐘楼の梵鐘

 

梵鐘は奈良時代前期の銅鐘ですが、現在では、法隆寺の年中行事以外では、この鐘が撞かれることはありません。

 

時を知らせる鐘、つまり「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」で響いていた鐘は、これではなく、西円堂のところの鐘の音です。

 

宝物がぎっしり?「経蔵」

法隆寺

経蔵 国宝・奈良時代

 

「経蔵」は、大講堂を見て、左側にあります。


もともとは、法隆寺の経巻を収める蔵であり、今でいう図書館の役割を担っていました。

 

現在は、伝観勒僧正(百済人・暦や天文などを日本に伝えた人)像(平安時代・重要文化財)を安置した厨子が収められていますが、非公開です。

こちらは、あまり知られていない仏像ですが、実はとても重要な役割を担っています。

法隆寺では古くから、寺の代表者の就任式を、この観勒の像の前で行うことが慣例となっているのです。

実際に、昨年の新管長晋山式は、この経蔵で執り行われています。

 

 

また、非公開である「伝観勒僧正像」についてですが、令和3年4月27日~6月20日に奈良国立博物館での「聖徳太子1400年遠忌記念 特別展 聖徳太子と法隆寺」において、公開されます♬

これは、個人的にも、とても楽しみにしています✨

 

 

法隆寺

五重塔付近から見る 経蔵

 

また、堂内ほぼ中央に伏蔵(地中に埋められた宝蔵・法隆寺のみに伝えられている)があり、注連縄を巻いた巨石が置かれています。

しかし、石の蓋がされていて、現代まで一度も開かれたことがなく、謎とされています。

開いたら、宝物がザクザク出てくるかも(笑)❓

 

尚、法隆寺へのアクセス・拝観情報につきましては、こちらをご覧ください☟

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《参考文献》 

 

まとめ

今回は、法隆寺のメインである西院伽藍の残りの部分をご紹介させていただきました✨

 

この空間は、大講堂周辺を除き、ほぼ1300年前の姿を今に留めている、すべての建物が国宝…という日本が世界に誇るエリアです。

法隆寺を訪れられた際には、まずこの西院伽藍を満喫していただきたいと思い、これらの記事を書かせていただきました。

皆さまの、法隆寺散策の助けとなれば幸いです。

 

※法隆寺の効率的な回り方についてはコチラ☟ 

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法隆寺

雪の西院伽藍

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>