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法隆寺無料ゾーンのご紹介【東院伽藍周辺】

今まで当ブログでは、数回に分けて世界遺産・法隆寺の境内をご案内してきました。

「法隆寺」についての最新記事はコチラ☟

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今回からは、法隆寺の無料ゾーンについて、ご紹介していきたいと思います。

 

国宝・重要文化財だらけで、まるで博物館のようなお寺・法隆寺ですが、実は境内には無料で歩けるゾーンもかなりあります。

その中には、国宝の建造物も✨

 

もちろん私は、法隆寺の魅力を理解するためには、無料ゾーンだけでなく、有料ゾーンこそじっくり回らないと、逆にもったいないと常々思っています。

 

ただし、拝観料が1500円かかるため、あまり時間がない時に到着してしまったり、次の予定が急に入ったりした時に、あきらめて帰ってしまうにはあまりにも残念…。

あくまでもそんな時に、この記事を参考に、法隆寺の雰囲気だけでも味わっていただきたい…そう思って書かせていただきました。

その意図をご理解の上、読んでいただけると嬉しいです。

 

今回は、無料ゾーンの東側エリアをご紹介します。

下記の境内図ので囲ったエリアになります☟

 

 

東院伽藍の周囲は国宝の建造物が

前回の記事で、法隆寺「東院伽藍」についてご紹介しました☟

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その内容と少し被る部分にはなりますが、まず、東院伽藍の入り口にあたる鎌倉時代の建造物の「四脚門」は、どなたでもくぐることができます。

法隆寺

東院伽藍 四脚門 鎌倉時代


東院伽藍の改札口は、さらにその奥の門になるため、ここから、中宮寺へと至るエリアは無料ゾーンです。

 

そのため、「鐘楼(鎌倉時代・国宝)」「伝法堂(奈良時代・国宝)」の建造物は、ふつうに近づいて見ることができます。

法隆寺

鐘楼(鎌倉時代 国宝)は、中宮寺へ至る道中にある


特に、伝法堂は、我が国最古の貴族の邸宅として国宝に指定されている建物なので、必見です。

法隆寺

伝法堂 奈良時代・国宝


また、この辺りから、中宮寺にいたるエリアは、小さな空間ですが、静かで心落ち着きます。

法隆寺

中宮寺へ至る道中


ここは、発掘調査の結果、かつて斑鳩宮があった場所とされています。

聖徳太子の嫡子であった山背大兄皇子一家が、蘇我入鹿らの軍勢に急襲された際に焼け落ちた斑鳩宮。

また、在りし日に、聖徳太子が住んでいた場所でもあります。

 

飛鳥時代に想いを馳せながら、ゆっくり歩いてみるのもおすすめです。

 

「斑鳩宮」についてはコチラをご覧ください☟

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法隆寺

北室院 本堂・太子堂 重要文化財

 

また、伝法堂の向かい側(北側)にある建物には立入ることはできませんが、法隆寺の子院である「北室院」で、重要文化財であることも書き留めておきます。

 

東院伽藍から西院伽藍へ

ところで、東院伽藍から西院伽藍にむかう道も、とても素敵なのですよ。

 

まずは、道の両端にある築地塀。

なんという情緒でしょう。

私は、ここを歩くと何枚も写真を撮ってしまい、写真ホルダーがパンパンになって困ってしまいます(;^ω^)

法隆寺では、築地塀は、その多くが重要文化財に指定されています。


さて、この道の北側にあるのは、法隆寺の子院です。

法隆寺

両端にある子院も 重要文化財が多い

 

東から、福生院、福園院(重要文化財)、宗源寺(四脚門が重要文化財)、律学院(重要文化財)と、続きます。

 

一方、南側には「羅漢堂」「本堂」があります(共に重要文化財)

こちらは何と、四脚門の近くにあるトイレから見ることができます(写真は以前撮ったつもりでしたが、写真フォルダには残っていませんでした💧すみません<(_ _)>)

 

また、各子院の門にある鬼瓦も種類が豊富なので、それらを眺めながら歩くのも楽しいです。

法隆寺

子院の門の鬼瓦

法隆寺

春の法隆寺 東院伽藍への道

 

さらに、桜の木が植えられているので、春や秋の景色も素晴らしいですね。

法隆寺

秋の法隆寺 東院伽藍への道

 

東大門は国宝の門

さて、東院伽藍と西院伽藍を繋ぐのが「東大門」です

法隆寺

東大門 奈良時代・国宝

 

奈良時代の三棟作りという珍しい様式です。

 

東側からご紹介したので、少し違和感があるかもしれませんが、またここは「夢殿の見える門」でもあります。

法隆寺

夢殿の見える門

 

西院伽藍から歩くと、東大門は西院の東端にあるので、ここから東院に通ずる道が始まるイメージです。

ここで、雰囲気ががらりと変わるのを感じます。

法隆寺

東大門をくぐって東院伽藍へ

 

そばで見ると、荘厳で堂々とした門です。

 

この門は、昭和9年の解体修理で、もともとは南に向いて建っていた門で、平安時代頃に、現在の位置に移されていることがわかっています。

かつては、鏡池の東側あたりに建っていたようです。

 

また、東大門より北向きに伸びている道は「松尾道」と呼ばれており、ここから厄除け寺として知られる「松尾寺」まで、片道1時間ほどで歩いて登っていくことができます。

法隆寺

松尾道

 

松尾道から松尾寺に向かうと、途中でこんな風景を見ることができますよ✨

斑鳩神社 と 仏塚古墳

法隆寺

松尾寺 南門

 

創建法隆寺があった「若草伽藍跡」

法隆寺にはかつて、再建論と非再建論を巡る論争があったことは有名です。

ところが、創建法隆寺である若草伽藍が発掘され(昭和14年)、現在の法隆寺は、奈良時代に再建されたということで落ち着きました。

 

かつての若草伽藍は、東大門の西南にある「観音院」の中にありますが、普段は固く門が閉ざされています(現在は、大きな礎石が一つ残るのみ)。

法隆寺

観音院

 

ここに入るには、夏に毎年行われる「法隆寺夏季大学」に参加するのが、一番確実だと思われますが、夏季大学に参加したからと言って、必ず毎年入らせてもらえるかといえば、そういうわけでもないようです💦

参加される前にはご確認をよろしくお願いします。

 

さて、創建法隆寺である若草伽藍は、塔と金堂が南北に並ぶスタイルで、いわゆる「四天王寺式伽藍」であったようです。

法隆寺

若草伽藍

 

蘇我入鹿ら襲撃の翌日に、山背大兄皇子一族25人が亡くなり、太子の子孫が絶滅したのは有名な話です。

しかしその一方で日本書紀には、法隆寺は、天智9(670)年に焼失したという記事があり、それを裏付けるように、発掘で出てきた瓦には、焼けた跡が見られるそうです。

 

山背大兄皇子一族滅亡についてはコチラをご覧ください☟

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《参考文献》 

 

まとめ

世界遺産・法隆寺の無料ゾーンをご紹介するシリーズ第一回目でしたが、いかがでしたでしょうか。


無料でも、見ごたえ充分であることを、感じていただけると幸いです。

次回は、西側のゾーンをご紹介いたします。

 

※尚、法隆寺の通常拝観についてはコチラをご覧ください☟

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最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>