さて、今回も「クマ子のおでかけ・沖縄編」ですが、第二弾にして、完結編であります!
前回の沖縄編・第一弾では、祖父の慰霊の旅の様子をご紹介させていただきました☟
また、別ブログ「クマ子の卒母DAIRY」の方の最新記事では、沖縄美ら海水族館へ行った時の様子をレポさせていただきました☟
今回は、クマ子が沖縄旅行で一番行きたかった場所をご紹介します( *´艸`)
その名は…「今帰仁城跡」です♪
世界遺産「今帰仁(なきじん)城跡」と桜
以前から、琉球王国特有の城(グスク)であるという今帰仁城跡に行きたいなぁと思っていた私は、母が「美ら海水族館」に行きたいと言った時に、内心ほくそ笑みました( ̄ー ̄+)←ブラッククマ子登場(笑)。
なぜなら、美ら海水族館から今帰仁城跡までは、車でわずか15分という距離なのです♪
もう、ウッキウキで、クマ子がサル子になりそうでした(爆)。
母は最初「今帰仁城跡?何それ?」的な反応でしたが…
しばらくすると、ご機嫌になりました(;^ω^)
それは…「桜」です!
実はここ「今帰仁城跡」では、毎年2月初旬から中旬にかけて「桜まつり」が行われているそうなのですが、暖冬の影響か、私たちが行った2020年1月27日には、かなりの花が開いていました!
ただ、この写真を見た友達のほとんどが「梅?それとも桃?」という反応でした(;^ω^)
沖縄の桜は、本州とは種類が違う「寒緋桜(カンヒザクラ)」という品種になります。
大変鮮やかなピンク色の花を咲かせますが、本州に多い「ソメイヨシノ」等の品種と決定的に違うのは、散る時に花びらからではなく、蕾ごと、ボトっと落ちるところだそうで、桜吹雪を見ることはできないそうです。
それにしても、美しい桜ですね~(*'▽')
たまたまだったのですが、この時期に来てよかったです♪
琉球王国時代に想いを馳せる遺跡「今帰仁城跡」
それでは肝心の「今帰仁城跡」とは…?
14世紀頃、琉球では、北山(ほくざん・沖縄本島北部)・中山(ちゅうざん・沖縄本島中部)・南山(なんざん・沖縄半島南部)に分かれ、激しい覇権争いが繰り広げられていました。
その後15世紀初頭に、中山の尚巴志(ショウハシ)が、今帰仁城エリアである北山を滅ぼし、最終的に1429年に、遂に三山を統一し、琉球王国の基礎を築きます。
言わば、沖縄での戦国時代の要塞であった訳ですね。
なので、高台で見晴らしがいい、断崖絶壁に面しているところもあるような場所に築かれています。
当時は、難攻不落の城…と言われていたようです。
これだけ、見晴らしがいいと、敵が海から押し寄せてきてもわかりますね!
今から700年から800年も昔に、よくこの高さまでこれだけの石を運んだものだ…と、石垣跡を見るといつも思います。
ただ、沖縄だけあって、サンゴが混ざった石もあります(*''ω''*)
この「志慶真門郭(しげまじょうかく)」と呼ばれるエリアは、今帰仁城跡では、一番奥になります。
発掘調査によると、城主に仕えた身近な人たち(重臣?)が住んでいたとされ、杭で囲われているところは、建物があったところです。
石垣の向こうは、断崖絶壁になっています。
いざという時に、裏切られないように、ここに配置したのかも…?と勘ぐってしまいます。
そういえば、北山(ほくざん)時代にこの鉄壁の城である今帰仁城が、中山(ちゅうざん)の尚巴志に敗れたのも、家来が調略に乗り、籠城せずにうって出ることをすすめたからだとか…。
確かに、この今帰仁城に籠城されれば、そう簡単には落とすことは出来ないように思います(;^ω^)
こうして、今帰仁城は、三山を統一した中山(ちゅうざん)の手に落ちました。
しかし、この地を押さえる重要性を考えた中山の尚巴志は、この地に自らが任命した監守を置きます。
この時代は「監守時代」と呼ばれ、約200年ほど続きます。
その後、1609年の薩摩軍による「琉球侵攻」で、薩摩軍の第一攻撃目標とされた今帰仁城は、戦国武者揃いの島津軍に、あっけなく陥落し、監守は廃止されます。
明治時代の琉球処分までの間は、拝所となり、地元の人たちの精神的拠りどころとなりました。
琉球での祭祀・御嶽(ウタキ)
沖縄で、伝統的な神を祀る場所は「御嶽」と呼ばれます。
御嶽は、自然石を祀った磐座のようなものですが、後には社殿になっていきます。
上の二枚の写真は、今帰仁城跡内の御嶽です。
観光客が絶えず訪れているのに、静寂さを感じさせる空間になっています。
もともと「沖縄流の神道」は、本州とは違うらしい(天照大御神が最高神ではない)のですが、自然にある石に神聖を感じ、祀る…というところは、絶対神を崇めるのではなく、八百万(やおろず)の神を崇める日本伝統の神道と似通っていると思いました。
この辺りの人々が、この御嶽で、日々祈りを捧げていたのだと思うと、私も思わず手を合わせてしまいました。
また、城内には「大庭(ウーミャ)」と呼ばれる、行事などに利用されたと思われる重要な広場があります☟
それから「主郭」と呼ばれる、今帰仁城で中心的な建物があった場所(いわゆる「本丸」に当たります)に「今帰仁里主所火の神(なきじんさとぬしどころひのかみ)」と呼ばれる建物が建っています(戦後に、改築&移築されています)。
もともと、監守一族の火の神が祀られたものらしいのですが、島津侵攻の後も、火の神として現在に至るまで、地元の方々に祀られています。
やはり火は、人間の暮らしにかかせないものですね。
今帰仁城跡からの素晴らしい眺め
また、絶世の美女であったとの誉の高い「志慶真乙樽(しじまとぅだる)」と呼ばれる、北山(ほくざん)王の側室であった女性のお墓もあります☟
何だか「絶世の美女」と聞くと、テンション上がるんですよね~( ̄▽ ̄;)
やはり、クマ子の中身はおっさんなのか…(爆)。
さらに、御嶽のある「御内原(ウーチバル)」からは「大隈(ウーシミ)」を見晴らすことができます。
「大隈」とは、兵馬を訓練した場所と伝えられ、堅牢な石垣で囲われています。
この「大隈」を見下ろしている「御内原」は女官たちが住んだところと言われています。
彼女たちは、遠い昔、この雄大な景色を見て何を感じたのでしょうか?
では、高低差のある雄大な今帰仁城跡を、今度は入口に戻るために下っていきます。
途中の桜の木を見て、ホッと一息。
今帰仁城跡で見つけた意外なモノ
さて、今帰仁城跡のエリアには「今帰仁村歴史文化センター」もあります。
ここでは、今帰仁村の歴史や文化、また出土品などが展示されています。
昔の道具や、出土した陶磁器などは、見ごたえがあります。
そして、その入口付近で発見!
「何だろう、このコンクリート??」と思ったら…
鳥居の跡でした☟
説明書きには
戦前に沖縄各地のグスクが皇民化教育の一環として御嶽やグスクが神社と同一化され、鳥居が建立された歴史がある。
この鳥居もこのような歴史を伝えてくれる貴重な文化財である。
とありました。
これは、残しておかないといけませんね…
納得…"(-""-)"
そしてあと一つ。
これも「何だろう??」第二弾だったのですが、またまた説明板がありました☟
なんとなんと、あの東日本大震災の時に、岩手県から沖縄まで漂流していた漁船が、7年ぶりに、この今帰仁村の海上で発見されたとのこと。
約2000kmも流されたとのことで、これは記憶に留めるためにも、いつまでも展示してほしいと思います。
《見学情報》
「今帰仁城跡・今帰仁村歴史文化センター」
〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地
電話番号 0980-56-4460
営業時間 8時~18時(9月~4月・最終入場17時半)
8時~19時(5月~8月・最終入場18時半)
定休日 年中無休(ただし予告なく施設管理等のため一部閉館すること有)
観覧料 大人400円 小中高生300円
駐車場 無料・普通車約320台
那覇空港より、車で2時間45分
<参考文献>
まとめ
今回の沖縄旅行で、母が行きたいと言った「沖縄美ら海水族館」に近いという理由で行くことができた、念願の「今帰仁城跡」。
できることならいつか、全グスク回りをしてみたい!
と、改めて思いました。
また、何も考えずに行ったのに、桜の時期に当たり、ラッキーでした♪
今年は二度、桜を楽しめそうです(*'▽')
今帰仁城跡は、お土産屋さんやフード屋さんも充実していて、小さなエリアですが、他では売っていないものがあったので、とても楽しめました(*‘∀‘)
「美ら海水族館」に行かれる際にはぜひ!
今帰仁城跡まで足を延ばしてみてください('ω')ノ
最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>