kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

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京街道に位置する「般若寺」は歴史の宝庫✨

前回の記事では、奈良市にある「般若寺」「関西花の寺」としての側面をご紹介させていただきました☟ 

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今回は、「般若寺」の歴史的な側面を取り上げたいと思います(´艸`*)✨

 

奈良県と京都府との県境に位置し、京街道と呼ばれた重要な街道沿いにあった般若寺は、幾度も兵火に見舞われましたが、また様々な歴史の舞台の場でもあったのです。

 

 

平安時代後期「保元の乱」

1156年に、時の天皇・後白河天皇と崇徳上皇との間で起きた「保元の乱」。

この時、敗戦組となってしまった崇徳上皇側についていた、左大臣・藤原頼長の供養塔が、般若寺本堂横辺りにあります。

般若寺

藤原頼長公・供養塔

 

天皇家・摂関家・平家・源氏などの内部で、敵と味方に分かれ、骨肉の争いが行われたことでも知られる「保元の乱」。

藤原頼長は、戦の最中、首に矢が刺さり重傷を負ったまま、京の御所から嵐山・巨椋池を経て木津まで逃走しましたが、遂に絶命します(享年37)。

 

遺骸は、般若寺に葬られたそうですが、後に勝者である後白河天皇側によって、墓を暴かれ検視されたそうです💧

現在は墓の場所ははっきりとわからず、この地に供養塔がひっそりと残されています。

 

国宝「楼門」と平重衡供養塔

般若寺の入口の拝観受付所から入って左側(西側)に、ひときわ目を惹く大きな門があります。

般若寺

拝観受付所から西側の光景

 

この門は「楼門」と呼ばれ、国宝に指定されています。

般若寺

楼門(国宝)鎌倉時代

 

戦国時代にも、兵火に巻き込まれ、伽藍がほぼ全焼した般若寺ですが、この楼門だけが、奇跡的に残りました。

 

さて、奈良時代に創建されたと伝わる般若寺の楼門が、なぜ鎌倉時代のものなのかと言えば、平安時代末期の源平の戦いの時に、般若寺は全焼したからです。

折からの強風にあおられた炎は、般若寺ばかりではなく、東大寺や興福寺などの大伽藍も焼き尽くし、奈良の大仏までも焼いたのです。

 

そう、世に名高い1181年の「平家による南都焼討」です。

この時の、焼討側の平家の総大将であった「平重衡の供養塔」が、この楼門の手前にあります。

般若寺

平重衡の供養塔

 

平重衡は、平清盛の五男で、「一の谷」での源平の戦いの際に捕虜となり、鎌倉へと護送されました。

勝者である源頼朝を目前にしてもなお、毅然とした態度や、また重衡の高い教養に、頼朝をいたく感心させたと伝わっています。

 

しかし、大仏を焼いてしまった罪を重く見た、南都の僧や大衆たちの強い要求により、ついに東大寺に引き渡され、木津川畔で斬首・般若寺の門前にて梟首されます(享年29)。

 

その後、時は流れ、鎌倉時代に西大寺などを再興させた叡尊上人らによって再建された般若寺。

鎌倉時代再建時の遺構である楼門前に、般若寺を全焼させた平重衡の供養塔があるところが、日本らしいといえば、日本らしい気がします。

 

「建武の新政」時代のドラマも般若寺に

さて、楼門から北に少し歩くと、またもや供養塔に出会います。

般若寺

大塔宮護良親王供養塔

 

「大塔宮護良親王」

この方は、建武の新政で名高い後醍醐天皇の第三皇子で、天台座主となりましたが、武芸を好む異例の座主としても知られていました。

 

このため、父の後醍醐天皇の倒幕挙兵にも参戦し、その計画が漏れた「元弘の変」の際に、籠城した笠置落城後、南朝側であった般若寺に潜伏していました。

その際、鎌倉幕府側の役人が探索に来たので、堂内にあった大般若経の唐櫃に潜んで難を逃れたと伝わっています。

 

その唐櫃は、現在も本堂に安置されており、拝観することができます。

 

 

また、本堂の本尊である八字文殊菩薩像(鎌倉時代・重要文化財)は、後醍醐天皇の御願仏として造顕されたと言われており、南朝側とのゆかりを感じる本堂内となっています。

般若寺

本堂 江戸時代(奈良県文化財)

 

さて、大塔宮が難を逃れたという唐櫃は、その当時は「一切経蔵」に置かれていました。

一切経蔵は現在は、十三重石宝塔の東側にあり、往時を偲ぶことができます。

般若寺

一切経蔵 鎌倉時代(重要文化財)

 

一方、大塔宮護良親王はその後、父・後醍醐天皇と共に鎌倉幕府の倒幕に成功し、征夷大将軍となります。

しかし、建武の新政に不満を持つ武士たちの筆頭であった足利尊氏と対立し、ついに囚われの身となり、鎌倉へ送られ、その後殺害されます(享年28)。

 

境内には、大塔宮を詠んだ、森鴎外の歌碑が佇んでいます。

般若寺

森鷗外 歌碑

「般若寺は 端ぢかき寺 仇の手を のがれわびけむ 皇子しおもほゆ」

 

戦国武将「松永久秀」の面影

それから時は流れ、戦国時代へと移ります。

 

大塔宮護良親王供養塔から、少し北に目を向けると、朱い柱と屋根が印象深い、鐘楼があります。

般若寺

鐘楼 江戸時代

 

さらに、このすぐ北側に、供養塔の頭の部分だけ?の石が置かれているのですが…💦

般若寺

多聞山城跡で見つかった石塔の一部

 

実は、般若寺の近くには、戦国武将・松永久秀の居城であった多聞山城跡があるのです。

松永久秀…といえば、昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」の中で、吉田鋼太郎さんが好演されていたのが、記憶に新しいですね。

 

 

多聞山城の周辺で行われた「東大寺大仏殿の戦い(1567年・松永久秀と三好三人衆との戦い)」において、般若寺はまたしても兵火に焼き払われ、東大寺もほぼ全焼で、再び大仏も焼けてしまいました。  

現在、多聞山城跡には奈良市立若草中学校が設立されていて、中に入ることはできませんが…💦 

その地形からも、東大寺や興福寺などの南都の仏教勢力を、見下ろすことができる位置だったことがわかります。

 

久秀はその後、織田信長と袂を分かち、信貴山城で自害して果てます(享年68歳)。

 

多聞山城は、織田信長の命で1577年に破却されました。

その際、多聞山城の石垣に使われていた石塔の一部が、ここ般若寺にも置かれたようです。

 

多聞山城の「高矢倉」は、信長が安土城を築く時に移築したほど壮麗であった…といわれています。

そんな名城の石垣の一部が、般若寺の境内の片隅で、今はひっそりとしているのですね。

 

ほかにも見どころが…✨

本堂の裏手、現在の般若寺の境内の一番北側に、般若寺中興の祖と言われる叡尊上人の弟子である忍性を祀った塔があります。

般若寺
般若寺
般若寺とゆかりの深い 忍性を祀った石塔

 

そして、本堂の北東側には、何やら建物があり、看板が立っています。

般若寺

足元がそんなによくはなく、誰も立ち寄ろうとする人はいないのですが、気になるので近づいてみます。

 

立看板を読むと、どうやらこの建物は、般若寺の鎮守社だそうで、明治の廃仏毀釈の際に、寺と切り離されることなく、何とか残すことができたそうです💦

般若寺

鎮守社(桃山時代)

 

また、この辺りには、秘仏公開時期のみ入れる宝蔵堂があります。

般若寺

宝蔵堂

 

趣のある佇まいに、この時期は公開されていないことを知りつつも、足が向きました✨

 

すると、門のところに、在りし日の境内図が提示されていました。

般若寺

鎌倉時代の境内図

 

少しだけ、心の中で、タイムスリップが出来たような…✨

 

般若寺へのアクセス・拝観情報

《般若寺・拝観情報》

所在地 〒630-8102 奈良県奈良市般若寺町221

電話番号 0742-22-6287

拝観時間 9時~17時(最終受付16時半)

     9時~16時(1月・2月・7月・8月・12月)

通常拝観料 大人500円・中高生200円・小学生100円

 

《秘仏特別拝観》

期間 春季公開(4月29日~5月10日)

   秋季公開(9月20日~11月11日)

拝観時間 9時~16時(最終受付15時半)

白鳳秘仏特別拝観料(別途通常拝観料が必要)

 大人 200円 中高生以下 100円

般若寺公式サイトはコチラ 

《公共交通機関でのアクセス》

JR奈良駅より奈良交通バス約15分「般若寺」下車・徒歩約3分

近鉄奈良駅より奈良交通バス約10分「般若寺」下車・徒歩約3分

《自家用車でのアクセス》

西名阪自動車道・天理IC下車 約15分

第二阪奈道路・宝来IC下車 約15分

京奈和自動車道・木津IC下車 約7分

※無料駐車場有  (ただし、秋のコスモスシーズンは大変混雑するため、普通車一回500円) 

 

《参考文献》 

※「般若寺」公式パンフレット 

※月刊大和路ならら2020年9月号「松永久秀」

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まとめ

「関西花の寺」として、別名「コスモス寺」とも呼ばれる般若寺。

 

しかし一方では、境内に咲く美しい花たちに負けるとも劣らないくらいの歴史を持ち、その時々に、様々な人物が通り過ぎていった般若寺。

そこは、静かな境内の中に、数多くのドラマを持つ素晴らしいお寺でした。

般若寺

また、40年ほど前には廃寺同然だったお寺を、ここまで見事に立て直され、紫陽花ガラスボールなどの新しいアイディアを持って、令和の世にも輝き続けようとする般若寺は、クマ子にとっておすすめのお寺の一つとなりました( *´艸`)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>