前回の記事では、奈良市にある霊山寺の、少しばかりカオスな面❓をご紹介しました☟
今回は、前回とは打って変わった雰囲気になります✨
国宝である本堂を始めとした、聖武天皇勅願寺としての側面をご紹介したいと思います。
…とその前に、寺域がかなり広いので、初回でご紹介したエリア(赤丸)と今回の国宝エリア(青丸)を境内図から引用しておきますね☟
霊山寺の歴史
霊山寺の周辺は、旧・富雄村にあたり、現在でも一帯は「富雄(とみお)」という地名になっており、近くを流れる川も富雄川と呼ばれています。
また、難波と大和を結ぶ暗峠越が通り、清滝街道・磐船(天孫・ニギハヤヒノミコトが降臨した地といわれている)街道に通じる交通の要塞であるこの地は、「記紀」の神武天皇東征説話に出てくる、「鳥見」や「登美」という場所の比定地の一つとされています(他に桜井市などがあります)。
霊山寺創建の略縁起としては…
小野妹子の息子と伝わる小野富人(とびと)は、壬申の乱で近江方についたことから、登美山に閑居。
その後、熊野に参篭して薬師如来を感得し、登美山に薬草湯屋を建てて塼仏三尊像を祀り、人々の病を治して「鼻高(びこう)仙人」と称えられました。
天平6(734)年に大地震があり、孝謙皇女が病に臥し、父である聖武天皇の夢に鼻高仙人が現れ「湯屋の薬師を祀れば平癒する」と告げます。
そこで、行基菩薩が代参を命じられ、皇女の病も平癒し、聖武天皇は、寺院を建立するように行基に勅命を発しました(諸説あります)。
前回ご紹介した辯天堂から降りて南西の方角にある、国宝の「本堂」です。
そして、聖武天皇勅願寺であることからも、本堂の紋は菊の御紋になっています。
奈良時代創建と伝わっている霊山寺からは、奈良時代の瓦も出土しているそうなので、これらの縁起が裏打ちされていると思われます。
それでは、この本堂がなぜ鎌倉時代のものなのかというと、鎌倉時代には、霊山寺は北条氏の帰依が厚く、1283年には本堂の改築や、堂塔持仏の修復新調が行われたからだとか。
さて、本堂の中に入ってみると、目を奪われる仏像が多数あります。
本尊である薬師三尊像(平安時代・重要文化財)は、秘仏とされ、毎年10月23日~11月8日のみ公開されています。
そのため、私が行った5月にはもちろん見ることができなかったのですが、その他にも見ごたえのある仏像などがたくさんあります。
まず、内陣の入口の上のところに、秘仏を補うために作られたという「銅製薬師三尊縣仏(南北朝時代・重要文化財」で、直径1mほどある見事な縣仏が飾られています。
また、大変個性的な表情の菩提僊那像や、非常に美しい表情の地蔵菩薩立像(鎌倉時代・重要文化財)←クマ子イチ押し✨
…など、見ごたえのある仏像がずらりと並んでいます。
本堂の中は、必見ですね(=゚ω゚)ノ
前回の記事のエリア中の、キンキラキンに光り輝くお堂や、星占いや干支占いも含めた仏像…など、どちらかというと、宗教施設というよりはアミューズメント要素が高かった領域とは、まるで違いますね。
国宝・重要文化財が盛りだくさんです✨
訪問先に何を求めるかは人それぞれなので、どちらがいいかは一概には言えませんが、心落ち着く、歴史を感じるゾーンです。
また、本堂の南東には、重要文化財である鐘楼があります。
袴階付入母屋造りの檜皮葺。
均整がとれた、かなり美しい建物で、思わず足を止めて見惚れてしまいます✨
ちなみに梵鐘は、寛永21(1644)年の鋳造となっています。
廃仏毀釈の歴史を感じる鎮守社
さて、さらに奥のゾーンにも、足を踏み入れてみます。
国宝・本堂の隣にも、何かありそうですね。
そう、ここには、かつての霊山寺の鎮守社があります。
ただし、そうであったのは、明治初頭の廃仏毀釈まで。
その後は、霊山寺とは切り離され、現在は十六所神社と呼ばれています。
本堂北側の高台に鎮座しており、左から順に、春日社・住吉社・本社・龍王社・大神宮となっています。
この5棟の社殿のうち、両端の2社は江戸時代、中の3社は室町時代の初めに建立されたことが知られています。
ちなみに、奈良県内の神社の社殿は「春日造」が大半を占めているので、こういう社殿は少し珍しく感じます。
鎮守社の地位こそ、失われましたが、今でもなお霊山寺の聖域として、奥ゆかしい雰囲気に包まれているエリアです。
※「廃仏毀釈」については、こおりやまんたろう(id:yamatkohriyaman)さんのブログの、こちらの記事に詳しく書かれています。今までと違う「廃仏毀釈」への切り口でおすすめです☟
境内内には菩提僊那供養塔も
さて、本堂・鐘楼とは少し離れた場所にありますが、”奈良時代エリア”とゆかりの深い場所なので、今回のご紹介に一点追加させていただきますね。
本堂から南側を散策すると、境内を流れる湯屋川があります。
その川を越え、小高い丘に登ると、美しい三重塔を見上げることができます。
この塔のことは、次回にお話する予定ですが、その後方に、インドから天平8年に来日し、あの東大寺の大仏供養開眼師を務めた、菩提僊那(ぼだいせんな)の「無縫塔」があります。
来日した菩提僊那は、霊山寺のある登美山がインドで釈迦が説法を行った霊鷲山(りょうじゅせん)と似ていることから、寺の名前を霊山寺と奏上した…と言われており、霊山寺とも、たいへんゆかりの深い僧正です。
本堂の中の「菩提僊那像」をご覧いただくとイメージが湧きやすいと思います(*'▽')
日本人離れした、凛々しいお顔をされていますよ。
本当は、三重塔と行者堂の間の階段を登っていくと菩提僊那の宝篋印塔があるそうなのですが、残念ながらこの日は、あまりゆっくりしている時間がなかったので行けませんでした💦
菩提僊那は、来日24年目に大安寺にて入寂します。
56歳でした。
その後、自身が名称を奏上した、霊山寺の寺域に葬られたそうです。
…が、現時点では、供養塔と宝篋印塔のみ発見されており、お墓は見つかっていないようです。
霊山寺への拝観情報・アクセス
《霊山寺・拝観情報》
所在地 〒631-0052 奈良県奈良市中町3879
電話番号 0742-45-0081
拝観時間 <本堂>10時~16時
<バラ園>8時~17時半
通常拝観料 大人500円・小中学生250円
定休日 年中無休
<公共交通機関でのアクセス>
近鉄奈良線「富雄駅」より奈良交通バス「若草台(50番系統)」行き「霊山寺」にて下車すぐ。
<自家用車でのアクセス>
第二阪奈道路「中町IC」より、約6分
《参考文献》
まとめ
個人的には、お寺であるのに、お風呂やゴルフ場(現在は廃業)・タクシー会社の経営、また大霊園の運営などもされているので、正直フィルターのかかった目で見てしまっていた部分があったのですが、訪れてみると、正真正銘の歴史的なお寺でした。
今回ご紹介した本堂を中心としたエリアは、国宝・重要文化財が多数あり、特に本堂の仏像は一見の価値ありです。
また、旧鎮守社であった十六権現の辺りも、心洗われるような独特の神域で、まさにスピリチュアルゾーンというのに相応しい雰囲気に包まれています✨
特に、霊山寺を私のように少々誤解されていた感じていた方に、ぜひとも訪れていただきたいと思います(笑)。
次回は、さらなる圧巻ゾーン❣
霊山寺の奥の院をご紹介しようと思っていたのですが、秋のバラの季節が迫っているため、バラ園と周辺のおすすめグルメを先に取り上げたいと考えています(;^ω^)
最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>