梅原猛著「隠された十字架」を読んで以来、ずっと行きたい…と思い続けてきた、奈良県斑鳩町・法隆寺での「聖徳太子1400年御遠忌法要(令和3年4月3日~5日)」に、念願かなって行くことができました✨
前回の1300年御遠忌法要の時は、全国から26万人も集まった大イベント❕
1300年御遠忌についてのお話はコチラ☟
正直、コロナ禍の中で「非公開になるのでは💧」と何度も思いましたが、3日間滞りなく厳修されました。
また、法隆寺初のライブ中継も行われました。
コロナで見れない・行けないものが多い中で、これだけはコロナのおかげ…と言えるのかもしれません(;^ω^)
今回は、自分で撮った写真と、ライブ中継でのスクリーンショットを混じえつつ、世紀の法要の様子をお伝えします✨
1400年御遠忌初日(法華・勝鬘講)
花曇りの中で行われた初日。
満開を過ぎた桜が咲いている中で、聖徳太子1400年御遠忌法要が始まりました。
夢殿がある東院伽藍から、法隆寺のメインエリアである西院伽藍へと行列が出発していきます。
聖徳太子の霊を供養するために行われるこの法要でのご本尊は、夢殿に安置されている「聖徳太子7歳像」で、「聖皇御輿」によって運ばれます。
また、太子2歳の春に、東に向かって合掌した時、その手掌から出現したと言われている舎利を頂いた「舎利御輿」とともに、法要が行われる西院伽藍まで運ばれます。
100年前の写真を見ていると、白黒写真であるにもかかわらず、華やかな様子が伝わってきて、これをどうしても間近で見たいとも思い続けていました。
しかし、100年前の写真と比べると、行列はかなり短かったです💧
「もう終わり⁈」とビックリしました(;・∀・)
多分、コロナ対策で、歩く人を減らしたのでしょうね。
またしても…
「コロナめ😠❕」
法要が行われた西院伽藍の様子です。
ライブ中継で映る画面で見ると「密」になっているように見えますが、それ以外のところは、けっこうガラガラです☟
結局、3日間を通して、入場規制が行われるほどの人は集まっていませんでした。
法要が終わり、法隆寺の古谷管長が退出☟
還列が、普段は通ることができない中門から出てきます。
雨の二日目法要(法華・維摩講)
天気予報は「雨」でしたが、本当によく降りました☔
前日は暑いくらいだったのに、この日は打って変わって、冷たい雨💧
この雨で、行列は中止となり、法要は大講堂内で行われました。
大講堂内には、一般の参拝客は入ることができません。
ライブ中継を見ると、狭いスペースで舞楽が行われているのがわかります。
またこの日は、奈良県下の大寺院である東大寺・薬師寺・興福寺・西大寺・唐招提寺のトップの僧の方々が一堂に会していました。
現在の法隆寺は「聖徳宗」ですが、そもそも聖徳太子が、日本仏教の祖…という位置づけなので、宗派を超えて御遠忌に参加されているということだそうです。
雨で舞台で法要を見れないのは寂しいけれど、大講堂ご本尊の「薬師三尊像」がライブ中継画面で、じっくり見れるのは嬉しい☟
薬師三尊像の前に供えられているのが、松の木…というところも、法隆寺ならでは…です(*‘ω‘ *)
法隆寺と松の木のいわれについてはコチラ☟
法要三日目最終日(管弦講)
最終日は、前日と打って変わって快晴です☀
西院伽藍も、太陽の光を浴びて美しく輝いています✨
振鉾(えんぶ)は、舞楽の初めに舞台を清めるために必ず舞われる曲です。
本日のメインは、こちらの舞楽☟
蘇莫者(そまくしゃ)とは、聖徳太子が最も好まれた曲と言われており、御笛役は聖徳太子を表しています。
かなりの躍動感のある舞です。
最終日にお経をあげられているのは、法隆寺とお隣の中宮寺の僧の方々。
その方たちにより、散華がまかれました。
法要が終わり、ご本尊の聖徳太子七歳像と仏舎利が御輿で担がれ、東院伽藍へと還列します。
管方の方たちの煌びやかな衣装が、青空に映えます。
特に、阿修羅のお面の方のところでは、スタッフの方が腕を取り、横に張りついていました。
「もうすぐ石段があります!」とか、必死に声掛けをしている様子💦
おそらく、全く前が見えないお面なんですね。
大変だなぁと思いました💧
還列は順に、東院伽藍の入口である四脚門をくぐっていきます。
これにて、法隆寺での聖徳太子1400年御遠忌法要は、終了です。
なお、法隆寺へのアクセスや参拝情報についてはコチラをご覧ください☟
《参考文献》
※法隆寺発行「聖徳・聖徳太子一千四百年御聖諱法要特別号」を参考にさせていただきました。
まとめ
コロナ禍で、どうなることかと思われた法隆寺での「聖徳太子1400年御遠忌法要」ですが、何とか無事に法要が終了しました。
密になることを懸念して、お寺もあまり広報されていなかったせいか、それほど多くの人が訪れず、入場規制もありませんでした。
その分、法隆寺では初のライブ中継もされ、普段なら見れない部分まで見ることができ、行列など削減された分は残念でしたが、嬉しい部分もありました。
今回の法要では、聖徳太子の遺徳を讃えるとともに、新型コロナウィルス感染症の早期収束も祈願されました。
聖徳太子が生きた時代も疫病に悩まされた時代で、太子の父である用明天皇も疫病にかかり亡くなっています。
1400年前も、現代も、平和で安心な暮らしを得ようとする…そんな人々の願いは変わりませんね。
そんなふうに、人々の願いが長い間受け継がれて、法隆寺の今の姿がある…と改めて認識した3日間でした。
なお法要は終了しましたが、法隆寺では他にも、1400年御聖諱記念事業として、いろいろな事業をされる予定です。
今後の予定はこちらの法隆寺公式サイトをご覧ください☟
最後までお読みいただき、ありがとうございました<(_ _)>