コロナ禍で、遠出が難しくなって、はや一年が経ちました。
こんな状況なので、一人で近くを散策することが多くなりましたが、それによって、今まで何気なく通り過ぎるだけだった場所が、実は、興味深いものであったことを知る機会にもなっています(*'▽')
今回は、奈良盆地の中部にある小さな観光スポットをご紹介させていただきます(*‘ω‘ *)
奈良県川西町にある、能楽で室町時代に活躍した世阿弥ゆかりの「面塚」「糸井神社」を取り上げてみたいと思います。
世阿弥(せあみ)生誕の地?「観世発祥の地 面塚」
奈良県川西町の大和側の支流である寺川沿いに「面塚」と呼ばれる場所があります。
この地には、不思議な伝説があり…
室町時代のある日のこと、一天にわかにかき曇り、空中から異様な怪音とともに寺川のほとりに落下物があった。この落下物は、一個の翁の面と一束の葱で、村人は能面をその場にねんごろに葬り、葱はその地に植えたところ見事に生育し、戦前までに『結崎ネブカ』として名物になりました。
~川西町ホームページより引用~
異様な怪音(どんな音?)とともに、空から、能面とネギが降ってくる…
何とも、シュールな光景ですね(;^ω^)💦
そして、ここは「観世流発祥の地」としても知られており…
空から降ってきた能面のエピソードと相まって「結崎面塚公園」として整備されています。
ところで、能楽・観世流…と言えば、観阿弥・世阿弥親子で有名な能楽の流派です。
けれど、世阿弥は、室町幕府3代将軍・足利義満に寵愛された人物。
なので、最初はてっきり京都生まれだと思っていました。
ところが、観世流の元祖・観阿弥は伊賀国の武士・服部氏の出で、1362年(室町時代)頃、結崎に居を構えるようになり、結崎姓を称し、ここで世阿弥が生まれたそうです(所説あります)。
また「観世座」も、もともとは「結崎座」という名であり、やはりこの辺りが発祥のようです。
室町時代と言えば、奈良時代からかなり経っておりますが、その時代にも、京の都で活躍した奈良県民がいたとは、嬉しい限り(笑)。
いずれにせよ、世阿弥は、輝かしい前半生と、凋落してしまった後半生の落差が激しい、不思議な魅力に溢れた人物でもあります。
世阿弥のことについては、やまとこおりやまんさん(id:yamatkohriyaman)が詳しく記事にされています☟
さて、写真を見ていただいたら一目瞭然なのですが、この公園周辺は桜が美しく、ちょっとしたお花見スポットになっています。
桜の時期は、ライトアップもあります。
ちなみに下の写真は、2017年春に、ここで撮影した夜桜です🌸
それほどには広く知られてはおらず、密になりにくいお花見スポットで、比較的静かに桜を眺めることができます✨
《結崎面塚公園》
所在地 〒630-0202 奈良県磯城郡川西町結崎
アクセス
近鉄橿原線・結崎駅より、徒歩約17分
京奈和自動車道・三宅ICより、車で約4分
観阿弥が日参したという「糸井神社」
さて、「面塚」から寺川を渡り、少し歩くと、朱い鳥居が美しい「糸井神社」があります。
「面塚」から「糸井神社」までは、ほんの200mくらいの距離で、この神社には世阿弥の父・観阿弥が日参して、能の成功を祈願をしたという伝承が残されています。
ご祭神は「豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと・ 第10代崇神天皇の皇女)」と言われていますが、一説では、綾羽・呉羽の機織の神を祀ったとも伝えられているようです。
また、社伝によると「機織りの技術集団の神」とあります。
糸井や結崎と言った地名の辺りは、繊維紡績関係の栄えた地域で、糸に関係した氏族が祀った神社ではないかと言われています。
中世には「大和大神宮」「結崎明神」と呼ばれていて、結崎郷の総鎮守でした。
さらには、糸井神社の領主が興福寺であったために、春日大社との縁も深く、本殿は18世紀中頃に、春日大社摂社若宮神社本殿を移築したものと伝えられています。
上の写真では、少しわかりにくいのですが、確かに春日造の建物の形状になっています。
また、拝殿にある絵馬(江戸時代後期)がとても有名で、奈良県の文化財に指定されています。
これらは「雨乞のなもで踊り」「西瓜を切り売りする姿」「おかげ踊り」が描かれたものがよく知られていて、当時の風俗を知ることができる貴重なものとされています。
実は、これらの絵馬を見たくて、拝殿を覗き込んでいたら…
社務所から、係りの方が出てきてくださり、鍵を開けて見せてくださいました。
まさか、本物を、じっくり見れるとは思っていなかったので、感激( *´艸`)✨
あ…でも、上の写真はその時に撮ったものではなく、神社の看板にあったものです。
さすがに「写真撮ってもいいですか?」とは、よう聞きませなんだ←(ヘタレ・笑)。
けれど、昔は雨乞いの時の儀式の時に、上の写真の手水舎の後ろにある池に、鐘楼の鐘を(昔は神仏習合だったため、この地にお寺もあったそうです)放り込んでいた…というお話は聞くことができました(=゚ω゚)ノ
実際今でも、池の底には鐘があるそうな。
こういうお話を聞けて、とても有意義な訪問でした。
帰り際に、糸井神社が発行している資料もいただけたので、面塚と糸井神社の関係もよくわかりました。
拝殿の中には、能面も飾られていて、面塚との縁が深いことも知ることができました。
また、この付近では昔、お蚕さんもたくさん飼われていて、本当に糸=織物が産出されていたそうです。
そして、それらは、神社のすぐ南側を走っている寺川の水運を使って、各地に運ばれていたとのこと。
やはり昔は、川の近くに、市ができたりして栄えていたのですね(=゚ω゚)ノ
《糸井神社》
所在地 〒630-0202 奈良県磯城郡川西町結崎68
アクセス
近鉄橿原線・結崎駅より、徒歩約14分
京奈和自動車道・三宅ICより、車で約3分
《参考文献》
※糸井神社でいただいた資料
まとめ
能楽・観世流…で知られる、観阿弥・世阿弥親子ゆかりの「面塚」と「糸井神社」をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
思いがけず、糸井神社の拝殿の中を見せていただけて、この付近の歴史が俄然面白くなってきました。
次回は、ここから歩いて10分ほどの距離にある、全長200mにもわたる大きな前方後円墳をご紹介したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>