kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

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三輪山平等寺・かつての大神神社神宮寺「島津義弘公ゆかりの寺」の知られざる歴史

過去記事で、大和国一ノ宮である大神神社(奈良県桜井市)のご神体である三輪山ご登拝の様子と、展望台の桜のことを紹介させていただきました☟ 

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その後、大神神社周辺を、詳しく散策してみたくなり、季節柄、桜のキレイな場所からご紹介しようと、まずは、大神神社から南東向きに「山の辺の道」を歩いてみました(緊急事態宣言発令前の3月下旬のことです)。

すると…

 

一つ目の見どころである「平等寺」が、内容盛りだくさんで驚きました( ゚Д゚)

事前に、下調べをした時に、このお寺は、拝観料が要らない(つまり、無料!)ことを知ったので、小さいお堂が、ちょっとあるだけのお寺なのかな…と勝手に思い込んでいたのですが…💦

 

さらには、日当たりがいいのか、境内の桜は満開(2020年3月23日)🌸

三輪山平等寺

そこで、今回は「三輪山平等寺」に内容を絞って書かせていただきます(・ω・)ノ

 

  

聖徳太子開基・かつての大神神社神宮寺「平等寺」

三輪山平等寺についてはコチラ

平等寺までは、大神神社の二の鳥居から、徒歩8分ほどです。

山の辺の道を、ずっと歩いて行きます。

 

緩やかな坂道を登っていくので、気づけば、こんな景色が見れて、感動☟

山の辺の道

手前の二つの小さい山は、大和三山のうちの、左側が畝傍山・右側が耳成山です。

美しい景色ですね🎵 

 

    平等寺

ついに、平等寺に到着しました🎵

 

この「平等寺」は、6世紀の終わり頃、聖徳太子の祈願によって建立されたお寺で、大神神社の神宮寺の一つとして、明治の初めまで、広大な伽藍を有したお寺でした。

しかし、明治時代の廃仏毀釈により、堂宇は破壊され、廃寺となりました。

この時、現在の平等寺がある地に、旧住職や町の有志の方たちが、お寺の宝物を移し「翠松庵(すいじょうあん)」として存続し、その後、1977年に「平等寺」と復称し、現在に至っています。

~《Wikipediaより、一部抜粋》~

 

平等寺

入口にあたる 山門

再興以前から、唯一残っていた建物と言われている「山門」から覗くと、素敵な境内が見えてきます♬

 

平等寺

聖徳太子像

山門から、入って右手に、平等寺開基であると言われている「聖徳太子像」があります。

昔の一万円札を彷彿とさせる姿✨

 

ですが、後ろにパイナップルの木❓があるのは、ちょっと不思議(;^ω^)

 

平等寺

しかし、境内の桜は見事でした🌸

平等寺

 

「島津義弘公ゆかりの寺」である平等寺

ところで、入口の「山門」のところに、気になるのぼりが掲げられていました☟

    平等寺

「島津義弘公ゆかりの寺」

どういうこと…⁇

島津義弘…ということは、もしかすると、関ケ原の戦いの時の話…?

と思い、調べてみました。

 

1600年に起きた関ケ原の戦いでは、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍に分かれて、天下分け目の決戦が行われました。

勝利を収めたのは、東軍でしたが、島津軍は西軍でした。

 

昼過ぎに、西軍の小早川秀秋が裏切ってから、西軍は総崩れとなり、陣を構えているのはもはや、島津軍のみ。

 

ここで、敵だらけの戦場から、撤退しようとする島津軍は、思いもかけない戦略に出ます。

敵の後方から逃げるのではなく、敵の前方から敵中突破に出たのです。

その戦いぶりはすさまじく「島津の退き口」として、語り継がれています。

しかし、島津軍の被害も甚大で、1600人ほどいたと伝わっている島津軍のうち、薩摩に生還できたのは、わずか80人…といわれています。

 

それでも、この凄まじい戦いぶりがあったからこそ、島津家は、江戸幕府から所領を安堵された…とも言われています。

島津義弘の関ケ原の戦いについてはコチラ

 

そして、大将である島津義弘以下13名が、薩摩に帰る途中に落ちのびたのが、この「平等寺」。

彼らは、約70日間逗留していたそうです。

無事、島津義弘が薩摩にたどり着いたことから、島津家は、江戸時代の間の約300年間、平等寺に感謝の気持ちを込めて、寄進し続けました。

 

平等寺

奈良鹿児島県人会…とも書かれています

約400年ほど前に、この静かな地で、まさか、そんな出来事があったとは…❕

関ケ原の地から、ここまで、どのようなルートを通り、どのような姿でやって来たのか…

ここにいると、想像が尽きません(>_<)

  

境内は見どころもたくさん!

平等寺

鐘楼堂 昭和62年再建

 

熱取り地蔵尊

大和の国の熱病平癒のために彫られた地蔵尊。

病気平癒の願い、令和2年の現代では、痛いほどわかります(>_<)

 

平等寺

二重塔釈迦堂 平成16年再建

800年ぶりに再建されたそうです。

平等寺境内で、一番目を惹く、見事な建物です。

 

正面から見て、左側には…☟

    平等寺

平等寺

平等寺仏足石

 

そして、二重塔釈迦堂の左半分を取り囲むように…☟

平等寺

平等寺

十六羅漢石像

一人一人が、個性的な表情と動きがあり、見ごたえがあります(*'▽')

 

平等寺

不動堂

内部には、弘法大師の自作と伝わる「三輪不動尊」が祀られています。

なかなか、立派なお堂です。

 

平等寺

波切堂

こちらも、弘法大師ゆかりのお堂です。

内部には、弘法大師の信仰された波切不動明王が、祀られています。

 

 

平等寺

本堂脇の観音さま

平等寺

本堂の燈篭

平等寺

本堂 昭和62年再建

こちらのご本尊は、聖徳太子自作と伝わる「十一面観世音菩薩」。

中を覗いたのですが、暗いのと、アクリル板?らしきものが、太陽の光に反射して、あまりはっきりと、お顔を拝ませていただくことはできませんでした💦

でも、拝観無料だし、文化財を守るためにも、仕方ないですね。

 

平等寺

稲荷社

伏見稲荷・豊川稲荷・孫太郎稲荷が祀られています。

スタイルのいい狐さんが、睨みをきかせています。

 

 

そして、平等寺のもう一つの門☟ 

平等寺

赤門 昭和51年建立


かつては重層だったというこの「赤門」は、なんと、現住職が手づくりされたそうです( ゚Д゚)

このお寺を、大切に守っておられるお気持ちが伝わってきます✨ 

  

平等寺は外回りも素晴らしい

「赤門」から、境内の外に出るには、階段を降ります☟

平等寺

 

すると、素敵な道標が…☟

    平等寺

そう、ここは、山の辺の道に繋がっています。

平等寺

このまま、山道を下っていくと「金屋の石仏」のところに出ます。

金屋の石仏は、この平等寺が破壊される際に、村人たちから助け出された石仏です

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《参考文献》 

まとめ

さて、この平等寺から、大神神社に戻るには、行きに登った道を下るのですが、その途中には…☟

    平等寺

平等寺

大神神社の一の鳥居

この、大神神社の一の鳥居は、とても大きくて、車が普通に対向できるだけの幅があります!

こんな角度で見たのは初めてで、ちょっと感動しました(´艸`*) 」

 

拝観料無料…ということで、若干甘くみていた「平等寺」でしたが💦、内容盛りだくさんの、とても素敵なお寺でした♬

逆に、これだけのお寺が無料…ということに、住職さんの想いを感じた次第です✨

しかも「島津義弘公ゆかりの寺」

古くからあった山の辺の道沿いの、歴史に溢れる平等寺…大神神社まで来られる際には、ぜひ訪ねてみられてはいかがでしょうか。

 

最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>